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「近くて遠いー」
流行りの歌をカラオケで歌っている彼女は僕の彼女では無い。友達でもない。赤い服を来た、赤の他人である。
「ねぇ、ぎみぃ?、なんとかいいざいよぉ?」
アルコールの匂いが穢れなき未成年の鼻をつん、と突き刺す。品性とはかけ離れたその臭気に思わず鼻を覆う。
「近くて遠いー、近くて遠いー、ぃいいいー、・・・、グズッ」
フェードアウトして行く歌声。そして、聞こえてくる鼻をすする音。
「ぅぅ、健一・・・。」きっと、彼氏であったのだろう人物の名前を口に出しては、嗚咽。
失恋した様だ。
きっと、やけ酒をして、酔った勢いで僕の趣味である一人カラオケの空間に恐ろしい負の存在が産まれてしまったという訳だ。101号室、店の入口の側の部屋を取った事を後悔。恐ろしい迷惑である。
健一君も、振るのは勝手だが他所でやって欲しい。
「ねぇ、ぎみぃ、近くて遠いってどういうごど?」
ぐずぐずと篭った声でこれまた哲学的な質問を飛ばしてくる。
「言ったら、出ていってくれますか?」
「ヴん。」彼女は頷いた。
僕は彼女の右隣に腰掛ける。
「僕の左隣にはあなたがいます。すぐそこに。でも、僕がもし、後ろを振り返らずに右に歩けば、あなたに会うために何万kmの距離を移動する必要があります。一番、近くて、一番遠い。」
僕はマイクを取ってラスサビに入ろうとしている流行りの曲に声を乗せる。
「となりー」
ディスプレイには近くて遠いといった歌詞が表示されているがお構い無しにそう言った。
「近くて遠いの正しい読み方は、こうです。」
赤い服を着た赤の他人の彼女は何かがストンと落ちた様な顔をして、僕の顔を見つめた。
「健一・・・」呟く。
人違いだ。何だか嫌な予感がするので僕が部屋を出た。悪いが、料金は支払ってもらおう。早めに廊下に出よう。
「となりー、となりー」
後ろからずっと聞こえてくる。彼女は同じ曲を何度も何度も歌っている。
構わず外に出る。
店の入口を出ようとしたその時、店の入口に入ってきた男が一人、息を切らしながら尋ねてきた。
「赤い・・・服の、女性見ませんでしたか?」途切れ途切れの言葉から必死さが汲み取れる。
「となり」一言、僕はそう呟いた。
後ろを振り向かない人間は中々いないものだ。
あんな事を言っておいてなんだが、ここに宣言しよう。
どうやら、となりは近いようだ。一番。
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