1人が本棚に入れています
本棚に追加
ペリシュ
2004年9月3日
放課後の体育館裏は処刑場だ。俺は英和辞書で『ペリシュ』という言葉を知った。死ぬ、滅びる、心が腐敗するなどの意味がある。また、『ヘリシュ』は地獄のようなって意味がある。天神中学はまさにペリシュな学校だ。
いじめ軍団は計3人、全員俺と同じ3年D組の生徒だ。
「波多野、金持ってきたのかよ?」
サメのような鋭い目をした長身の上杉彩斗が言った。
上杉は俺の天敵だ。小学2年生のときにこいつから「おまえくせぇんだよ!」と上杉に笑われた。
今年は大河ドラマの影響で新撰組ブームだ。上杉は芹沢鴨気取りで、牛乳瓶を酒瓶みたくグビグビ飲んでいる。京都に修学旅行に行ったときに買った鉄扇で俺を殴ってきた。
上杉は5万を要求してきた。
「そんな大金無理だよ」
「うっせー!口応えすんな!」
上杉のパンチが俺のみぞおちをえぐった。
俺はその場に倒れて痙攣した。
死ぬほどの痛かった。
「ちょーキモチぃ!」
上杉は北島康介の真似をした。8月のアテネオリンピックは面白かった。上杉は俺だけでなく、いろんな奴を殴っては快楽に酔っていた。
今年はオレオレ詐欺が流行している。警察官や弁護士を名乗る、ルパン三世顔負けの詐欺師が跳梁跋扈している。上杉も詐欺集団に関わっているって噂だ。
「無様だな!」
熊のような体格をした内山元太が罵声を浴びせた。
「死ねよ!」
眼鏡をかけたインテリな感じの加納一樹が吐き捨てた。
「明日こそ持って来いよ?」
去り際に上杉が言った。
正気に戻ると怒りが込み上げてきた。
なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ?
苦しまずに死ねたらどれだけ楽だろうか?
家に帰るとカレーのにおいがした。
俺はカレーライスをがっついた。
おふくろはビデオを見ている。
冬ソナブームで、おふくろは「ヨンさま~❤」とキモい声を上げている。
「早食いね?そんなにあわてなくてもカレーは逃げないよ」
いじめられてることを悟られたくないので早食いになる。食事を終えて、階段を上がり部屋に入る。急激に不安が込み上げる。
上杉の幻覚が現れた。鋭い目で睨んでくる。
どうしよう?約束をやぶったらまた殴られる。
「お父さんを迎えに行ってくるね?」
親父は飲み会で車で迎えに来るようにおふくろに電話したらしい。
ケータイの着メロは冬ソナのあの曲だ。
ブォォン、車が出る音がする。
やるなら今だ。俺は忍び足で階段を下り、リビングでハンドバッグを見つけた。中から財布を抜き取り1万札を盗った。
「母さんごめん」
その日はバレることなく過ぎた。
翌朝、朝食を食べ終えて身支度をして家を出た。
学校までは自転車で約10分だ。校舎が見えてくると憂鬱な気分がどっと押し寄せてきた。今日もまたいじめられるんだろうな?
自転車を駐輪場に置き、校舎に入った。
D組の教室は3階にある。階段を上る。3階に辿り着く。魔のエリアに入ったのだ。教室に入る。挨拶をしても返事はない。全員が『いじめゲーム』に参加していた。リタイアしたら上杉から痛い目に遭うことを皆、知っている。
席に着き、教科書やノートを鞄から出して机の下にしまう。
上杉軍団が近づいてきた。
「なんだよ、その顔は?」
上杉が因縁をつけてきた。
嫌悪感が表情に出ていたようだ。
「なんでもないよ」
「嫌な顔しただろうが?」
上杉が肩パンしてきた。
「イタッ!」
「キモい」
内山が言った。
「なんか臭くねぇ?」
加納が鼻をつまんだ。
「うわ、くっさ」と、上杉。
「こんなところにハエがいる」
加納が俺の頭を殴ってきた。鋭い痛みが走った。
「ハエを倒した」
加納は『ファイナルファンタジー』のファンファーレを口ずさんだ。
「やめてくれ」
「おまえには発言権はない」
上杉が言った。
俺は助けを求めようと教室を見回した。が、誰もこっちを見なかった。
勉強したり、友達と話している。
人間なんて冷たいもんだ。
「放課後来いよ?」
上杉が冷たい声音で言った。
「来なかったら家燃やすからな?」
午前中の授業が終わり、給食の時間になる。味噌汁に何かが浮いている。ゴキブリの死骸だ。不運にも俺は上杉と同じ班だった。
「全部食えよ?給食のおばさんに失礼だろ?」
俺は教室を飛び出してトイレで泣いた。
いつまでこんなことが続くんだ?
昼休み、俺は1階にある職員室に向かった。担任の岩崎裕子にイジめられていることを打ち明けたが、岩崎は信じられないことを口にした。
「あなたにも落ち度があるんじゃないの?」
「は?」
「先生、知ってるのよ?昨日、田辺さんが早退するときに喜んでたでしょ?」
田辺凜子は腹の具合が悪いからと昼休みに帰った。
凜子は隣の席の女子で、上杉の共犯者だ。
暴力は振るわないが、「キモい」とか言ってくる。
「そんな根性だからやられるのよ」
岩崎は冷たく言い放った。
ぶん殴りたい気分だ。結局、俺の味方になってくれる人はいない。
放課後、俺は処刑場に向かった。
上杉軍団が待ち構えていた。
「持って来たんだろうな?」
上杉がドスのきいた口調で言った。
「あっ、ああ」
俺は1万円札を上杉に渡した。上杉の眉間に亀裂が走った。
「約束と違うじゃねぇか?」
「明日こそ持ってくる」
「金はもういい」
「本当に?」
やっと地獄から解放される。
「その変わり真木を殴れ」
真木裕也はクラスメイトで、知能に障害がある。小学生のときに同じ登校班だったのだが、急に走り出して車に轢かれそうになったことがあった。
「嫌なのかよ?」
「分かった、やるよ」
暴力は嫌いだが、自分が犠牲になるよりはマシだ。
「明日からやれよ?」
上杉が言った。
「うん」
「波多野、よかったなぁ?」と、内山。
「しっかりやれよ?」
加納がポンポンと肩をたたいた。
上杉軍団から解放され、俺は学校を出た。卓球部に入っているが、最近はいっていない。加納も卓球部なのだ。
カラスが鳴いている。家が近づくと脳裏におふくろの顔が現れた。
玄関で仁王立ちになり、俺を睨みつけてくる。
まもなく、この妄想は現実のものとなるだろう。
家に着き、門を開ける。
深呼吸をしてインターホンを押す。しばらくして、おふくろが出た。
『はい?』
「俺」
いつもなら明るい声で冗談を言ったりするが、それがない。不気味だ。
玄関のドアが開けられた。おふくろの表情は鬼みたかった。
「ちょっとこっちに来なさい」
リビングのソファに座る。おふくろが切り出す。
「あんた、何かやらなかった?」
「………」
しばらく沈黙が続いた。
「私の財布から1万円がなくなってるの?あんたじゃないよね?」
再び沈黙。
「黙ってたら分からないだろ!?」
「盗みました」
「何で盗んだんだ!?」
おふくろの怒鳴り声に身をすくめた。
「ほしいゲームがあったんだ」
上杉たちに脅されたと答えたら、おふくろは上杉の家に電話を入れる。暴力がエスカレートするかも知れない。
おふくろのビンタが左頬に飛んできた。
俺は涙を浮かべた。
「あんたがこんなことをする子だとは思わなかったよ」
「ごめんなさい」
「世の中にはな?許されることとと、許されないことがあるんだよ!そんなことも分からないのか!?」
「ごめんなさい」
「もう、あんたを信じないから。お父さんにも言うしかないね?」
俺はトイレに入り泣いた。
これで俺は完全に孤独になった。
夜、親父がかえって来た。おふくろから話を聞き、廊下で俺に拳骨を見舞った。
「この家の敷居を跨がせない!出ていけ!!」
表に出された。蚊にあちこちを刺された。結局、家に入れたのは10時過ぎだった。
翌日、ホームルームが始まる前に俺は真木に攻撃を開始した。
椅子に座り爪を噛んでいる真木の前に立った。
「チテショー、キモい」
だが、真木は理解できないのかニタニタ笑ってる。
俺だけ生贄になるのは納得がいかない。
俺は真木の頭をひっぱたいた。真木は頭を押さえて、「やめてやめて」と怯えている。
その姿が滑稽で笑えた。
クラスメイトは俺の豹変ぶりに驚いていた。
ヒールが魔法にかかってヒーローになったような気分だ。
やればやるほどやられなくなるんじゃ?そう思い、上履きを隠したり、教科書を焼却炉に捨てたりした。だからって上杉たちへの憎悪が消えたわけではない。真木をいじめているときに頭に浮かぶのは、ナイフや拳銃で上杉軍団を殺すシーンだった。
そして、10月のある放課後、俺は岩崎に呼び出された。相談室という職員室の隣にある小部屋で岩崎と真正面から向かい合い座った。
「君、真木君のことやってるでしょ?」
どこでバレたんだろう?
「隠しても無駄よ?クラスの子があなたのやってることを教えてくれたの」
不公平だ。俺のことは誰も助けないくせに、真木はどうして助けられるんだ!?
「すみませんでした」
仕方なく頭を下げた。
誰だよチクった奴!?見つかったらボコボコにしてやる!!
第2週の月曜のホームルームの前、上杉軍団が俺の席のところにやって来た。ヘラヘラしやがって!この鬼畜ども!
「なぁ、もう真木をやるのやめないか?」
思い切って口に出した。
「今さら何言ってんの?おまえは同じ穴のムジナなんだよ」
加納が言った。
「とにかく俺はもう抜けたから」
「新撰組の山南や藤堂、知ってるか?」
内山が陰湿に言った。
山南敬助は切腹され、藤堂平助は斬り殺された。
上杉に反抗するとやられ、上杉に加担すると親や教師から叱られる。
この状況を打開するにはサボるしかない。
朝になった。家を出て、空を見上げた。どこまでも青く澄んでいた。ペダルをこぎながら考えた。図書館なら時間を潰すのにはもってこいだが、まだ開いてない。サイクリングでもしようかな?
通学路は誰かにバレるから、違う道を走った。大きな橋を渡り、土手の上で自転車を止めた。草の上に寝転び、鳥の囀りを聞く。
鞄から宮本武蔵の伝記を出して読んだ。図書館で借りたものだ。武蔵は父親から虐待を受けて育った。その憎しみをバネに、吉岡一門や佐々木小次郎を次々に倒していった。
上杉たちを殺せたらどんなに気持ちがいいだろう?
本を読み終え、川を眺めた。揺らめく水面で鴨が泳いでいる。
鳥はいいな?と思った。
ようやく開館時間になった。図書館に入り、新藤冬樹のグロい小説にはまった。特に『溝鼠』は面白かった。お小遣いなんかもらってないからお昼も食べられない。コンビニで万引き出来たらどれだけ楽かな?
だが、上杉たちと同じ空気を吸っていないだけマシだった。
家に帰るとおふくろに叱られた。
「あんた、今日どこにいたの?」
「……」
「学校から電話があったよ?サボったらダメでしょ?」
「実は俺、やられてるんだ」
俺は詳細を話した。
おふくろはまさか、自分の息子に限ってと思っているに違いない。
この瞬間まで世間で起きている少年少女の自殺も他人事だったはずだ。
「本当なの?」
「あの時お金を盗んだのも上杉たちに脅されていたからなんだ」
おふくろはむせび泣いて俺を抱きしめた。
「ごめんね?何にも知らないでぶったりして」
「痛かったなぁ」
「明日から学校に行かなくてもいいよ?母さんはあんたが笑ってくれてるだけでいいんだ」
9月29日
台風21号が上陸、三重県を直撃し土砂災害で犠牲者が出た。
全国で26人が死んだ。
最初のコメントを投稿しよう!