女装男子と入学式

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女装男子と入学式

入学式。  朗らかな春の陽気に包まれ、ここ、水面斗高校の校舎周囲に植えられた桜が花びらの絨毯で新入生を歓迎しているようだった。    新入生たちは真新しくピカピカの制服に身を包み、足取り軽く校門をくぐる。  溢れる不安を押し殺し、期待という妄想で蓋をして。  そつなく、つつがなく、それでいて凡百のそれとは違う気配を演出し、粋にいなせにスタイリッシュに。    全ては薔薇色の高校生活を謳歌するために。  入学式とは、言わば前哨戦である。  周りの気配を探りそれに合わせる。その哨戒の過程で仲良くなるべき相手を厳選し、ごく自然に、あくまでごく自然に、さながら迷彩服で匍匐前進をするように近づき。お友だちになる。  晴れて勝利した者にはスクールカーストという歪な正三角形の頂上で薔薇を色のキャンパスライフを送る権利が与えられ、粗相をした敗者は三角形の底辺の角の部分で背中を丸めながら一人寂しく塩辛いお弁当食すことになる……。    なんて卑屈極まった筆者の地の文なんて知るよしもない玉鬘蓬(たまかずらよもぎ)の亜麻色の前髪に、桜の花びらが一片絡まる。  蓬は立ち止まって花びらを取り、ふと顔を上げる。  細いシルエットにちょっと小柄な背丈、肩より少し伸ばした亜麻色の髪をハーフアップに整え、目は向き合った人を全部映せるくらいに大きい。緊張にこわばる顔はうっすらと紅潮していてその表情は儚さのようなものすら湛えていた。  人は見た目が九割なんてうそぶく人がいる。本にもなったほどに。  だがこれは戯言だ。 勝手ながらこの場を借りて訂正しよう。  正確には、 九割九分九厘  である。  その上未だ発展途上である脳ゆえに論理性の低い思考回路に加え統一された制服という衣服形の(ふるい)にかけられる中での高校生活とあれば、さらに数値は跳ね上がる。     見た目なくして高校生活を楽しむなんて音楽の才能も知識もない少年の五線譜にした落書きがパッフェルベルのカノンを凌ぐ調べになる可能性か、あるいは空を見上げると飛行石をぶら下げたとんでもなくかわいい女の子が落ちてくる可能性と同等だろう。    つまりこの前哨戦に勝利し敗者の鮮血に染まったどこまでも赤き薔薇色の学園生活を闊歩するための最大の武器は、春休みを賭してまで塾で予習し底上げした勉強力でも自宅近くの馴染みのコンビニだとちょっと恥ずかしいから少し離れたコンビニで買ったワンコインプライスのコミュニケーション指南書で学んだ話術や社交性でもなく。 最大の武器は、生まれ持った素養に裏付けられた容貌なのである。  そして蓬は高次元のそれを備えていた。  その証拠に、 「なあなあ、(あおい)」 「あん?」 「あの()かわいくね?」  黒髪の少年がその眼鏡に蓬を映して隣の金髪の少年を小突く。    艷やかな亜麻色の髪はあまねく視線を絡め取り。  眩しげに細める瞳は映したものすべてを吸い込んでしまいそうで。  他にも何人かの男子生徒が蓬に魅了されたように蓬に視線をぞんざいに浴びせていた。  魅力は思考を遮り、目を曇らせる。  蓬は明らかに他人とは違う部分、異常な部分があるのにも関わらず、魅力的な容姿のおかげかそのことに気づいている生徒はいなかった。いや、ある一定の人間は気づいている。気づいていてなおも問題を保留している。  訂正すると、正しくは異常という言葉は合わない。  不可思議な部分と言うのだろうか。  ……有り体に言うと『ツッコミどころ』  散々述べたように高校生活とは戦場である。  敵対候補は全校生徒。  同盟候補も全校生徒。  血で血を洗う荒野行動。    周りがアサルトライフル装備で虎視眈々と薔薇色の頂を目指して息を潜めている中、レンガ片手に一人飄々と散策するようなそんな感覚。  本来なら今すぐ「なんでやねん!」とツッコミたいのに、それができない。  立場がわからないから。  異常因子を抱えた問題児でありながらその圧倒的風貌から学校の寵児(ちょうじ)にもなりえる存在。  その不安定要素が、蓬を舞い散る桜の下で一人にし、そのおかげでまるで蓬を中心に聖域にでもなったような雰囲気が、また視線を集める。  危うく水面斗高校の歩く聖堂となりそうだった彼の……そう、『彼』のその無限ループが断ち切られたのは、粛々と終えた入学式の翌日。クラスでの自己紹介のことだった。  この頃にはすでに前哨戦は終盤に差し掛かっており、勝勢の者は明るく声高く振る舞い、敗勢の者は適当な言葉で短く済ませる。とどのつまり自己紹介は自分の立場を再度確認する場面である。 1年1組の自己紹介はまるで台本でもあるかのように滞りなく進行していく。  はずだった。 「えと次は、玉鬘蓬くん」 「はい」  彼が立ち上がると、呼び上げた担任の手習御幸(てならいみゆき)はおどおどしながら名簿と彼の顔を交互にみやる。 「前に出るんですよね?」 「え、えと、うん。そうだよぅ……」  彼女はなぜか力無く手を握り、ふにゃふにゃの猫パンチを(くう)に打った。  教師二年目でいきなり担任を受け持ったとはいえ彼女の方に落ち度はない。  きっとこの状態には誰しも混乱するだろう。    肩より少し伸びた亜麻色の髪をハーフアップ結び。  くりくりと大きな瞳に細い線で描いたような輪郭。  可愛らしい黄色のカーディガンがよく映える雰囲気を帯びた生徒。  非常に可愛らしい、女の子。  それなのに名簿にはたしかに『男』と記されている。    「あ、れぇ?」 「どうかしましたか?」 「男の子だよね?」 「そうですけど?」    蓬はズボンを引っ張りパタパタとアピールする。  教室は不気味なほど静かだ。誰もが顕在化した問題の成り行きを、固唾を飲んで見守る。 「ええ?」 「なんでしょうか?」 「い、いや、なんでしょうかって……」  どこか幼い面持ちの御幸は迷子になった子どもように涙目になりながら教室を見渡す。   (良く訊いた御幸ちゃん!) (でもこっちに振っても困るわ御幸ちゃん!!) (担任としての職務を全うするんだ御幸ちゃん!!!) (ああ、すごい……視線だけでみんなの心の声がわかる……。っていうかもうすでにちゃん呼びなんだ……。) 「玉鬘蓬です。中学の頃はサッカー部に所属していました。特技は……リフティングとかです。よろしくおねがいします」  ぺこりと頭を下げて蓬は席へと戻る。  実にそつがない。クリエイティブ関連の企業面接かなにかだったらオリジナリティが無さすぎて不採用とされても文句は言えないほどの教科書通りの挨拶。  その異様なギャップが、さらに教室を静寂に追いやる。  例えばここで「体は男子でも心は女の子!コスプレ大好き高校生!たまかづらよもぎでーす☆よもぎんって呼んでね☆」  みたいな、キャラクター性を補強するような自己紹介だったらクラスメイトも (あ、なんだぁ。ただの女装趣味のヘンタイかあ)  とやり過ごせたかもしれない。  だが、違った。  彼の自己紹介は、まるで普通の男子高校生のそれだった。  それもそのはずである。彼が女装を始めたのは先月からのことだし、人前を出歩くようなことはあってもその状態でコミュニケーションを取るなんてことはなかった。  だから彼自身、未だ自分の所在や在り方のようなものはわかっていなかった。  彼が唯一明確なのは、自分が世界一かわいい男子高校生にならなくてはいけないということ。  それだけ。  不意に一陣の風が教室に吹く。  それは桜の花びらとともに檜花粉を蓬の元へ届ける。  花粉症の彼は鼻をムズムズさせると口元に手を構え―― 「あ、間違えた。これはあんま女の子っぽくないな」    ――構えた手をポケットに引っ込めレースのハンカチを取り出すと、 「へくちっ」    露骨な発音でくしゃみをした。  その様子を見て教室の大半の人間が確信する。 (((((あ、こいつやべえ奴だ)))))
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