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黒い箱
「ワトソン君、僕はしばらく事務所を留守にするよ。君も休暇を取るといい」
自称名探偵、海老石・ディーン・藤彦が不意にそう告げたのは、残暑が厳しい立秋の頃だった。
立秋なんて言いつつも、暦の上ではまだ8月。現代人の感覚で言わせてもらえれば、そら十分に暑かろうという時期だ。
ワトソン君、こと和戸尊が晴れて大学生となった今年の夏は特に暑く、先日もある事件の依頼で九州は鹿児島に赴いたりもしたのだが、それはもう茹だるように暑かった。というか海老石は茹だった。
「また急な話ですね。どこに行くんですか?」
エアコンが不調なため、全開となった海老石探偵事務所の窓には、いまいち物足りないそよ風と、大音量の蝉の声が流れ込んでくる。尊はソファに深く腰掛けながら、目前に迫ったレポート作成の資料と睨めっこしていた。
「北海道だよ。古い友人に会う約束があってね」
トレードマークとなったくるくるの癖っ毛を指に絡ませながら海老石は言った。
「へえ、珍しいですね」
今年の春、海老石と出会ってからまだ半年も経っていないが、互いを「ワトソン君」と「フジヒコ」と呼び合うような仲となった。それでもまだ、尊は海老石のプライベートな姿をいまいち掴めずにいた。
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