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「ぶーん、しっかりつかまってくださいね」
「はいはい、捕まってますよ」
大きな爺の隣に座り、紙の皿をハンドルに見立てて体を左右に揺らした。それは僕にとってとても懐かしくて、温かい記憶だった。
アラーム音に目を覚ますと、枕元のデジタル時計は朝の八時過ぎを指していた。カーテンを開くと見えるのは、いつもと変わらない隣の家の窓。いつもと変わらない一日、今日もまた平凡な夏の一日が始まった。同じ事の繰り返しの日々の中に、強い喜びや深い絶望。何にせよ、僕は心が動く何かに怯えながら、求めていた。
「おっす、一限いるの珍しいな」
そう言って僕の隣に座り込んだきたのは柳沼葵。同じボードゲームサークルの仲間で、思考や趣味も似ている、僕の数少ない友達だ。
「まあね、ちょっと早起きしちゃって」
そう返すと、葵は鞄の中からノートパソコンと教科書を取り出して机の上に広げた。それと同時に教室の扉が開かれて、そこから講師が姿を見せた。それを合図に、今日もまた気だるい授業が始まった。
九十分の長い授業が終わり、こう話しかけてきたのは葵だ。
「あー疲れた、次もフランス語取ってるんだろ?」
「うん」
そう答えながらポケットの中の携帯を取り出すと、メールや不在着信の通知が大量にきていた。画面を確認すると、数分前に重ねるように送られていたその通話は、すべて母からのものだった。なんだろう。
「そういえばもうすぐ夏季休暇だけどなんか予定あるの?」「僕はー、うーん、合宿免許くらいかな」
「お前車好きだもんなあ、俺はまだいいや」
葵のその言葉に、なあなあな相槌を打ちながらメールを開いた。
そこに表示された文面に目を通した瞬間、無意識的に体が動いていた。
「ごめん葵、ちょっと急用ができた」
訳を聞こうとするその声を背に、僕はただ夢中で教室を飛び出した。
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