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ソフトボールと太もも
新元号が発表される四月一日、門田雨音は朝から部屋でふさぎ込んでいた。
自宅から通える距離にある大学の入学式を明日に控えていたが、果たしてこの選択で良かったのか。昨夜も兄の夕雨に「もったいない」とさんざん責められたばかりだ。
母は雨音が決めたことだからと賛同してくれたが、雨音の三つ年上で、同じ大学の先輩になる夕雨は「どうして社会人チームの誘いを断った?」と納得がいかないらしい。
脚が太くなるからだよ。
同性の母には打ち明けられても、異性の兄には言えない。小中高とソフトボールのキャッチャーを続け、高校時代に県大会の決勝まで進んだことは、雨音にとって誇りだった。
しかし高三の同級生の男子からは裏で「太もも」と呼ばれていた。休憩時間に男子同士の会話が耳に入ってしまったのだ。
「太もも、すげえ。社会人チームにスカウトされたらしい」
そう口にしたのは須永晴喜だった。よりによって雨音が片想いしていた相手である。そのひと言でそれまでソフトボールに捧げてきた情熱も、須永晴喜への恋心も一気に冷めてしまった。
私は太ももじゃない。
雨音は心の中で叫んだ。私からソフトボールを取り上げたら、何も残らないかもしれない。やめたからといって脚が細くなるとも限らない。それでもソフトボールを続ける道を選んだら、一生好きな相手に「太もも」と呼ばれるのではないか。
たかが太もも、されど太もも。思春期の雨音にとっては人生を左右するほどの一大事だったのだ。
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