カラオケと平和

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カラオケと平和

 テレビでは新しい元号が何になるのか、大騒ぎしている。発表予定の十一時半直前に、雨音は家を出た。  ソフトボールの漢字表記は「塁球」だ。盗塁の塁、つまりベースのことである。土を重ねた砦という意味で、書き方も難しい。だから元号に使われることはないだろう。  もし塁という字が元号に使われる奇跡が起きたら、私の選択は間違っていたと兄に打ち明けてもいい。雨音はちょっとした願掛けをした。  携帯電話を使わず、街を歩くだけ。  どこでどんなふうに新元号と出くわすことになるだろう。そう考えると雨音の気は少し晴れた。街全体がテーマパークのようにも見えてくる。  久しぶりにカラオケに行って、ストレスを発散しよう。五分ほど歩いてカラオケ店に着いた。ドアを開けようとすると、ゴミ袋を手にした業者の人が出てきた。 「昨日で閉店したみたいですよ」  雨音は「えっ。そうなんですか」と言ったまま、固まってしまった。小学生のとき、近所にオープンしたカラオケ店。かれこれ十年ほど、家族や友だちと一緒に利用してきた。  須永晴喜の「太もも」発言から立ち直ることができたのも、ひとりカラオケで大好きなバンドの曲を歌いまくったおかげである。  昨日はたしかに年度末だったけど、閉店するなんて聞いていない。これから人生の壁にぶち当たったとき、どうしたらいいの。  雨音は困惑したまま駅へ向かって歩いた。駅前の大通りでは選挙カーが走っていた。 「これから新しい〇〇の時代に……」  いきなり大声で新元号が耳に飛び込んできた。いや、平和の時代と言ったのかもしれない。よく聞き取れなかった。  景和だろうか。それなら昭和の和と被っている。やっぱり平和だったのだろう。雨音にとっては新元号よりもカラオケ閉店のほうが大問題になっていた。
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