天気雨と二重虹

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天気雨と二重虹

 仕方がない。雨音は電車に乗って、別のカラオケ店へ行った。最寄りの駅より少しは栄えている街だ。  これまで大好きなバンドの曲をリモコンの履歴で見かけることはなかったが、初めて遭遇した。新しい時代を担うであろうバンドの曲を歌う人が、この街にはいる。それが確認できただけでも良しとしよう。これも時代が変わる前兆かもしれない。  カラオケ店を出ると、小雨が降っていた。家を出たときには晴れていたから、雨音は傘を持っていなかった。小走りで駅に向かい、電車に乗り込んだ。  ほとんど栄えていない最寄り駅へと帰る車内は空いていた。雨音はとなりの男性から少し間隔を空けて座り、濡れた鞄や服をハンカチで拭いた。  電車が走り出すと、向かいの窓越しに太陽が見えた。あれ、もう晴れた? 雨音は目を凝らした。いや、雨はまだ降っている。天気雨だ。雨音は浮かれた。ただの雨ではない。珍しい気象である。  しかし、となりの男性は携帯電話を覗き込んだまま下を向いていた。天気雨ですよ、と話しかけるわけにもいかない。  雨音はひとりで笑みを浮かべ、天気雨に魅入った。そのとき向かいの席に座ったカップルが反対側の窓を指差して騒ぎ始めた。天気雨に気づいた人がいた。雨音は喜んだ。  さらにカップルのとなりに座っていた女性が「もうひとつ」とカップルに話しかけた。  後ろを振り返った雨音はさらに驚いた。背後の窓越しに見えたのは、二重に架かった虹だったのだ。たしかに太陽の反対側に虹はできる。しかもダブルレインボー。  新元号が発表された日に、何という奇跡だろうか。これはもう新時代の幕開けを自然が祝っているとしか思えない。  それでも雨音のとなりの男性は携帯電話に夢中で、下を向いたままだった。最寄り駅に到着し、電車を降りた頃には雨も上がり、二重虹も消えていた。  となりの男性は雨音と同じ駅で下車したが、歩き始めても携帯電話から目を離すことはなかった。ただ、その体勢のままくるっと一回転ジャンプして改札へと消えたのだった。
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