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「知らない街に旅行できたみたいね」
恵美はベランダに出て外を眺めていた。その横で淳一は煙草をふかしている。
「しばらく人のいない街で生活するのもいいかもしれないな。結婚するまで慌ただしかったからこうやって静かな街で過ごせるのも良いよね」
「でもね」恵美は迷いながら言った。「ずっとじゃ寂しいわ。そのうち人が戻ってきて、もっと賑やかになってもいいかなって思うの。偉い人達がどうにかしてくるでしょうけど」
えみは楽観的に人が戻ってくると思っているようだった。
「まあ、いまは誰もいない街を楽しもうよ」
「そうね、しばらくはね」
「しばらくは、な」
不思議と人のいない生活も慣れていくもので、淳一は人がいない世界もいいな、と思いながら空っぽの街を見下していた。
街から人がいなくなって二十五日が過ぎていた。
ふたりが人のいない生活を満喫していたある日、背広を着た若い男がふたりの前に現れた。男は半ば呆れ果てたように近づいて来ながら早口で捲したてた。
「鬼をさぼったら駄目じゃないですか。いつまでたっても誰一人見つけていないから、来てみれば探しもしないで生活を楽しんでいるなんて」
そう言いながら差し出された名刺には人口調整事業課と書かれてあった。どうやら役所からやってきたようだった。
「鬼ってなんですか」
「鬼と言ったら鬼でしょう。みんな必死に隠れているんですよ。見つからないように」
「それって、この街の百万の人がどこかに隠れているってことですか」
「当たり前でしょう。かくれんぼしているんだから。おふたりは名誉ある鬼に選ばれたんですよ。隠れてくれている人たちを探さないと駄目でしょう。命がけで隠れているんだから」
「かくれんぼだって」
「そう、かくれんぼです。役所から手紙が来たでしょう。ふたりが百年ぶりの鬼に選ばれたっていう通知書が」
「見たような、見なかったような。なんせ僕らは結婚式の準備とかで忙しかったものだから」
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