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一〇〇号室のドアを開けた時の光景を、生涯忘れることはないだろう。
蒼の目に飛びこんだのは、燦々と降り注ぐ陽光を反射して白ばむ床と、その上に転がった人の姿であった。
事件、という二文字が頭を過ったのと、横たわる彼が口を開いたのは同時である。
「大丈夫。これが、俺の、日常」
陽に透ける色素の薄い瞳、細い鼻筋、しゅっと尖った顎……少年然とした風貌にふさわしい、低すぎない明快な声だった。
肘を着いて身を起こした彼は立ち上がることはせず――できずに、と言うべきか――匍匐前進で、さほど広くはない居間から玄関へと歩み……近寄って来る。
ず……、ず……、と、腕の力だけで器用に床を這う姿に釘づけとなる。
直視してはいけない、そう思ったが、顔を背けるのも失礼な気がした。
「いつまで馬鹿面下げてんだ。てめえのすぐ横に置いてある物を見て察しがつかねえのかよ。よくそれで福祉学部のある大学に入ったな」
すぐ側まで来た彼は、口調とは裏腹に可憐とも言うべき笑顔を浮かべた。
見惚れるほど端整な顔にどぎまぎしつつ、指摘された物を確認して合点がいった。
「……すみません。気がつかずに」
「謝られたら、こっちが悪いみたいだろ。で、なに? 引っ越しの挨拶なら、さっさとしてくれよ。平岡蒼くん」
「……なんで、僕の名を」
戸惑う蒼を尻目に、彼は再びごろりと床に寝転がった。台所にも奥の居間にもほとんど物が置かれていないのは、彼の足が不自由なために整えられた環境なのだろうか。
「ここの大家は俺の祖父なんだ。俺は身内の特権を生かしてバリアフリーに改築したこの部屋を無料で貸してもらえるいい身分なの。入居者の情報も難なく仕入れられる。あんたらの家賃が俺の生活を支えてくれるってわけ。滞りなくきちんと払ってくれよ」
ふん、と皮肉めいた笑みとともに吐かれた台詞は、カチンときてもおかしくない内容だが、見下ろす先にある彼の瞳はやはり笑ったように映る。
人を食った態度にうろたえ、数歩後退した踵が脇に置かれていた車椅子の車輪にわずかに触れた。
「これ――つまらない、ものですが」
ようやく訪問の意味を思い出し、手土産を差し出した。どこに置くべきか――郷土の銘菓を持ったまま目線がさまよう。
「ありがとう。俺は甘党なんだ」
先ほどまでの憎まれ口が嘘のような礼とともに、彼は腕を伸ばした。
サイズが大きいのか、薄いグレーのスウェットがだらりと下がり、前腕が露になる。無駄なく綺麗に筋肉のついた腕は、地中から初めて姿を現した睡蓮のように白かった。
両手でそうっと菓子の包みを手渡すと、彼はふっと頬を緩めた。
「俺は春海だ。紅野春海。季節の春に、大海原の海。あんたと同じ、河和大学の一年、社会福祉学部だ。一身に浴びせられるお決まりの同情以上に尊敬を集めてみせるから、とくと見てな。よろしく」
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