100人の保育

4/5
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
一日の流れは。 登園してくる順に自由遊び。 全員登園して10時頃から集合し出席確認、トイレ。 昼食まで計画保育。 昼食の間に掲示板を書き終え子どもの体調をチェック。 昼食の後は昼寝やトイレは自由にし、おもちゃを出して自由遊び。 自由遊びが一番トラブルが多いのでスピーカーが欠かせない。 3時からは園長がおやつを運んでくるのでそこから大きなブルーシートを皆で敷いてその上でおやつ。 後は迎えを待ちながら自由遊び。 これを毎日繰り返した。 一番早い子は、登園が7時半。 帰るのが一番遅い子は、迎えが19時。 朝来たら受け入れ準備をしておもちゃを広げる。 子どもが全員帰ったら体育館内を掃除して、翌日の保育の準備をして、戸締り。 保育を考える時間。 玩具や道具を用意する時間。 毎日保育だけで12時間労働をしながら、それらの時間も確保する。 土曜預かりがないので、土曜の時間をほぼ保育計画と道具準備で費やした。 一週間分なので、一日で足りないときは日曜も使って。 最早、休みなど無い状態だった。 家に帰ったら、ただ寝るだけ。 せめてご飯だけはしっかり食べようと、通勤途中でパンやらおにぎりを頬張る日々。 そんな中道具の資金を請求するたびに園長の小言と嫌な顔を見るのは結構堪えた。 それでも、3か月という期間が決まっているということと、子どもたちの笑顔、親の感謝の笑顔。 それらが(もも)の支えになっていた。 なんとか毎日大きな怪我もなく過ごすことが出来た。 擦り傷、捻挫、たんこぶなどの小さな傷はやはり絶えなかったが、親たちは仕方がないと皆理解し、文句を言う人は誰もいなかった。 それが本当に、本当に救いだった。 そうして心身ボロボロにしながら日々を過ごし。 あと少しで3か月が終わろうとしていた。 長い一日が飛ぶように過ぎ、あっという間のような、永遠の時のような勤務の終わりが見えてきた。 色んな遊びをした。 1人で子どもたちを外に出すなどという危険なことは到底出来っこないので広い体育館をフルに使った。 ボールプール、しっぽ取り、椅子取りならぬフラフープとり、巨大な紙で絵具遊び…… 今までの知識や、保育の本や、ネットでの情報や、頭をフル回転させて出来うる遊びは全てしてきた。 流石にきつい時は同じ遊びを2日続けたが、子どもたちが喜んでくれたから何とかなった。 保育に関して資金が潤沢にあったおかげで日常は何とか過ごせた。 だが、気がかりが1つあった。 保育園の1年の中でも最大といえるイベント、お遊戯会。 保育の中で最も重要とされるといっても過言ではないイベント。 それが出来ないのが、気がかりだった(もも)は。 親が参加型のお遊戯会を行った。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!