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言葉は難しい。
ここで言う情報、気持ちというのは以下のことを指す。一般的ではないが取り敢えず次のように定義することとする。
情報と気持ちの違いとは。
情報は素直で裏の意味などない。
figure数字や図や、人物。現実であり、事実。凄く冷淡な一面もあるがそれ以上に分かりやすく実用的な物であり、重複するが事実であり真正面から受け止め信用することができる。
気持ちとは、多面性を持つ物であり。一概に答えというものが存在しない。
情報と違い、一つの言葉に喜怒哀楽を始めとする様々な属性を有する。
答えがなく、意味の決定権は受け取る側の判断に委ねられるべきである。送る側は自分の心情を受け取る側に理解してもらえるよう最大限の努力をするべきであり、責任は往々にして送る側にあるべきであると言える。理解不足ではなく表現不足であると言える。
私の言葉で説明するとこんな感じ。
まあ見てわかる通り圧倒的に後者のほうが複雑かつ難しい物です。
私は断言します。
SNSで気持ちを伝えるのは不可能。
相当な表現力のある物書きでもない限り、SNSで気持ちを伝えるのは不可能。
口述ですらかなり難しいものです。SNS上なんて持っての外。
多面性があり答えが存在しない。
それが気持ちであり心情の言語化です。
送る側と受け取る側で認識が異なるのは当たり前の事。
誤解が生まれる。
誤解が生まれるというのはとんでもない事です。
大袈裟に言えば、ただの挨拶が喧嘩を売られているように思われてしまう。
もっと具体的な逆の例に置き換えるならば。
「死にたい」は「死にたい」
「死ね」は「死ね」である。
自殺したいってネットに書き込み実際に何人も殺されている。
よくネット上での爆破予告で人が何人も捕まってる。
芸能人への誹謗中傷、殺害予告。その逆も然り。
人類が作り出した極めて自由度が高く、今や最も価値があると言われている情報の倉庫、インターネット。
今の現状を見る限り、おかしな方向へ進みだしているのは一目瞭然です。
インターネットとは冷たい付き合いをするべき。
インターネット上の人間の皮被りに愛を求めたり、心の拠り所を探そうとするのは愚かである。
逆も良くない。インターネット上では人は救えない。
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