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思いつく限りの仮説を組み上げてみても、考太郎の当たり前は妥当性があるように感じる。 一方で、自分とは異なる当たり前が存在することも理解している。 この世に絶対的な当たり前はほんの一握りくらいしか存在しない。 人はいつか死ぬ、人は老いる、そして、人は母親から生まれるくらいである。 数少ない絶対的な当たり前に比べれば、ほとんどの当たり前は相対的なものである。 ある集団や地域で当たり前のことも他の集団や地域では当たり前でなくなることは枚挙にいとまがない。 ルールやマナー、宗教や慣習というものが相対的な当たり前に相当する。 考太郎はそんな相対的で多様な当たり前に触れるために社会へと出たのである。 「当たり前が当たり前じゃないのが当たり前なんだよ」 上司のこの言葉をもう一度、頭の中で思考してみた。 この言葉からは上司もまた考太郎の当たり前を当たり前のことだと認めているということである。 上司個人としての当たり前と考太郎の当たり前は同じであるにも関わらず、この会社では当たり前ではないということになる。 つまり上司と考太郎はこの点において同じ価値観であり、異なるのは会社ということである。 上司は考太郎と同じ価値観でありながら、その価値観を捨てて会社の当たり前に屈したということであろう。 平凡な暮らしをしていた国民が兵士として戦場に送り込まれ、狂ったように下士官を殴り、上官の命令に従って敵国の人間に銃口を向けた過去の悲しい歴史の構造に共通項が多いように考太郎は感じた。 考太郎はここまで自分の頭の中で整理を済ませると、あとは上司のように自分の当たり前を自ら手放すか、手放さないかの自分自身の選択なのだと思考が終点へと向かっていった。 「この会社から離れます」 考太郎は上司に告げると、身支度を済ませ会社を出ていった。
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