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トヨは、それ以上何も言うことなく、時折、嗚咽を漏らしながら白いハンカチを片手に泣き出した。御年100歳のトヨのシワだらけで骨張った手は、いつもより小刻みに震えている。娘が先立ったことへの悲しみが計り知れないことを物語っていた。
トモカズは今日、百本の薔薇を買うために豚の貯金箱に200円を入れるはずだった。
新婚初日のあの頃。百日後のユキコの誕生日に薔薇を送るため、一日一本分の金額を豚の貯金箱に入れていた。あの時と、同じようしたかった。新婚百日目は、ユキコの誕生日。浮かれたトモカズが、馬鹿みたいに百本の薔薇を贈ったのだ。むせ返るほどの薔薇の香りを、今でもトモカズは、鮮明に覚えている。
ユキコが還暦を迎えたのは、二十年前のことだ。ユキコは、嬉しそうに来たるべき今日の日ことを語っていた。
「ねぇ、あなた。還暦で赤子に戻るって話知ってる? それなら、八十歳で新婚に戻れるってことかしらね? 誕生日には、百本の薔薇の花を、期待して待ってますね」
そう言って、還暦の祝いの席というのに、遠い八十歳の誕生日を心待ちにしていた。その明るさが、ユキコらしかった。
目の前で手を組んで眠るユキコは、二十歳の頃より、細く、痩せてしまっている。黒黒とした艶のあった髪もみずみずしかった肌も美しさとは、いつの間にか正反対の姿になっていた。
例え、若さとはかけ離れたとしてもトモカズは、あの頃と同じ気持ちで、ユキコの誕生日を盛大に祝うつもりだった。
「ユキコ、誕生日おめでとう。新婚百日目の記念だ」
そんな夢を見ていた。
「なのに、なにも今日を、別れの日に選ばなくても良いじゃないか」
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