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 数字にはそれぞれイメージというものがありまして、たとえば“4”は“死”を連想するので不吉な数字であるとか、“7”はラッキーセブンということで縁起の良い数字だとか、8は末広がりでよろしいだとかということもあるかと存じます。    そんな中でも“多い”というイメージをもつのは“100”という数字ではないでしょうか。英語などでは1000倍ずつを区切りとするような、キロ・メガ・ギガ、なんていう考え方がありますけれども、日本には少しそぐいません。これらはそれぞれK・M・Gなんて略されますから、なまじ馴染まれてしまいますと、わたしたちが冗談で「いや~今日は儲かっちゃってさ、2(けい)円の利益だよ」なんて言いましても、「ええ2K円? 2000円じゃちょっと飯食ったらなくなっちゃうよ」なんてことになってしまいます。  “京”というのは“兆”の次、10の16乗でございます。“億"というのは芸がない。今後「超凄い!」なんて言うかもしれない偶然ダジャレの予防に使ったもうひとつ先の単位が誤解されてしまう、誤解を解くのに自分のボケの説明をしなければならないなんて、こんなに恥ずかしいことはございません。責任者を出せと言いたい。しかし、それはわたしなのです。  まあそんなわけですから、わたしたちの数かぞえは1000倍ごとが区切りではなく、大きくは万、小さくは百が“漠然と大きい数”の基準になります。たくさんお参りして願いを聞いてもらおうなんて、百度参りなんてやり方もありますね。  しかしこの百度参り、百度参り自体にも色んなやり方がございます。もともとは1日1回、百日連続でお願いすることを示したもののようですが、ちょっぴり拡大解釈しまして、ダッシュでサササと100回往復参ってしまえばそれで“お百度参り”としようというやり方を考えついたひともおりました。  “1かける100”も “100かける1” も同じ百度になるわけですから、小学校の先生に言ったら怒られそうなものですが、それでよしとしたわけです。しょせんどれをどうやったらご利益がありそうなのか、またなさそうなのかを決めるのは結局のところ自分なわけでありますから、自分が納得できればよいのでしょう。賢い柔軟な発想と考えるか、伝統を無視した愚かな考えだと受け取るかはそれぞれが決めればよいのです。    そんな中、また違った“賢い柔軟な考え方”をやりだす者がここにおりまして、名前を田中といいました。陰気で理屈っぽいだめな男でございますが、彼には友人がおりまして、彼は中田という名前です。ふたり合わせて田中田(たなかた)なんて言いまして、何やら遊びで色々していたりもするのでございますが、それはまた別の物語、また別の機会に話すことにいたしましょう。 「おい中田、俺は決めたぞ」彼は友人に声をかけます。 「なんだい田中、何を決めたんだい?」なんてね、アメリカンジョークかぶれをしたような返答です。  田中は言います。「おれはこの度童貞を捨てることにした」と。わざわざ友人に宣言するのがまた童貞らしい振る舞いです。「なに! 抜け駆けか!?」と友人は反応します。    一体どうするつもりなのか? この田中という男、からっきし女に人気がありません。それは友人の中田も同じなのですが、こちらにはかわいい女友達がひとり、彼女になるのかならないのか微妙なところにいる、と、漫画の世界のような話ですが、立場はずいぶん異なります。  ですから“すわ抜け駆けか!”と憤ったところで友人にはまだ余裕がございます。その具体的なプランを聞く耳があるというものです。ナンパでもするのでございましょうか?  すると田中は言うのです。「百度参りをすることにする」と。ここで「神頼みかよ」とツッコむのも野暮というもの。友人はとても優しい目になり、この童貞をこじらせかわいそうな精神状態になっている男を見つめます。 「合コンするとか、ナンパしに行くとかではなく、百度参りをするのかね」 「そのつもりだ」と男は言います。 「せっかく大学生になったのだから、そんなお参りの力にすがるよりも、サークルにでも入って同じ新1年生同士仲良くなれる女の子を探し、口説いていけばいいじゃない」  そうなのです。彼らはこの4月から泣く子も黙る大学生、しかも受験勉強の甲斐あって、それなりに名の通った学校のそれなりに名の通った学部に揃って進学することができました。ナメてかかると簡単に留年してしまうこの世の中、1年中遊び呆けるわけにはいきませんけれどもサークルに入ったりバイトをしたり、キャンパスライフを彩り豊かなものにするのは十分可能というわけです。  しかし田中の顔は晴れません。心なしか中田の台詞も半笑い。「それ、本気で言ってる?」中田はその目を逸らします。  何故か。何故なら彼らは絶賛童貞中、おんにゃのこと手を繋いだこともありません。中田は例の女友達がいますので多少立場は異なりますが、異性経験値としては大差がありません。  そもそもこの田中と中田、ふたり合わせて田中田(たなかた)は、かつて意気揚々と学部の軽音楽サークルに入ろうとしたものでした。理由は彼女が欲しかったからです。歌も下手くそで楽器もできず、そもそも音楽がそれほど好きでない。しかし彼らにとって女子が多く集まっているサークルといえば、テニスサークルか軽音楽サークルと決まっていたのでしょう。童貞は大抵視野が狭いものです。石を投げないでいただきたい。  そして新入生歓迎会の夜、意気揚々と彼らはサークルに顔を出したものでした。生まれてはじめて『ウコンの力』をコンビニエンスストアで買い求め、親の目を気にせず行う飲酒に高揚感と期待感を膨らませます。いくら親の目の届かないところに行こうが未成年の飲酒は法律で禁じられていることは置いときましょう。なんならこの場面は異世界という設定を加えてもよろしい。タイトルは『異世界童貞』。これは売れない。  しかし、そんな彼らを待っていたのは意外とガチな音楽好きの集まりでした。使う楽器に好きな曲、ハード面でもソフト面でも話題についていけません。軽音楽サークルなのだから当たり前のことであり、何なら彼らのようなフトドキものを排除するためにわざとそういった話題を続けているのかもしれませんが、発言の大半を「そうですか」と「なるほど」で誤魔化しながらポテトを摘んでビールを飲んだりしているうちに、体力づくりの基礎練習よりもつまらない1次会が終わります。  学生にしか行くことが許されない激安居酒屋から出て教科書通りに入口の前でたむろし、2次会の舞台は部室になります。そこで彼らが目にしたものは、部内カースト上位にいる先輩様のギター・テクニックに手拍子を送り、輪を作って音楽に聞き入る新入生女子たちの後姿でありました。  絶望。やってられません。どちらからともなくそんなアイラブミュージックの巣窟からフェードアウトし、それぞれ自分の住むアパートへととぼとぼ歩くことにしました。  それが彼らのサークル活動のすべて、ザッツオールなわけであり、ない袖は振れません。話のネタにできる程度に傷は癒えたわけですが、彼らのサークルに対するイメージは暗黒のような有様です。  その中田の言う「サークルにでも入ればいいじゃない」のなんと無責任なことか。女子に接するスキルもない上サークルに対してひどい印象を持っています。中田はその後しれっとひとりでバレーボールサークルに入って和気藹々とボールをポンポン弾ませたりしていましたので、あるいは自分だけサークル・コンプレックスから抜け出ているのかもしれません。しかしサークルを勧める台詞の最中にちゃんちゃらおかしく半笑ってしまう始末であり、その自覚がないとは言わせません。  スキルもなければ機会もない。車もそんなに走ってない。というわけで、田中にすがれるのは神仏、百度参りをしようと思い立つのも無理ないことかもしれません。そうかしら? と思わないでもありませんが、こじらせた童貞は往々にして特殊な思考回路を持つものです。 「しかしな、おれも考えたんだが、やっぱりサークルかバイトだよ。共通の活動や仕事をしてれば自然と共通の話題もできるわけだし、女の子に近づくこともできるというわけだ」  不純な動機しかないという点である意味純粋な男がそう言います。バレーボールサークルに続いて塾講師のバイトもしている中田は、将来的に元生徒に手を出そうとして法的・私的に成敗される可能性があるかもしれません。  一方サークルにも入らずバイトもせず、休みの日は本を読んだりゲームをしたりと怠惰に過ごす田中はそんな世界を知りません。だからといって百度参りというのはどうなのか。それでできた彼女と「田中くんって休みの日何してるの?」「だいたい神社に参ってる」なんて会話を繰り広げるのか。  仮にわたしがその女なら、引いてしまうことでしょう。神社巡りが趣味は許容できるが百度参りが趣味はキモいのは差別的な思考でしょうか? 判断を仰ぎたいところです。  そんなわけでふたりの話は平行線をたどっていき、中田のバイトの時間が迫ってきたため、なし崩し的にお開きとなりました。「塾の時間だ!」という別れ文句はお受験小学生だけが使うわけではないのです。  そして月日は流れ、中田は田中とそんな話をしたことさえも忘れていました。大学で会ったら会話をするし、授業は隣の席で並んで受けます。学食でお昼を共にすることもあるでしょう。しかし百度参りの話題を自分から挙げる気にはなりませんし、万一「今日で72日目、72回目のお参りだ」なんてガチ勢めいた発言をされたらどう反応して良いのかわかりません。ガチ勢を否定するには戦争の覚悟が必要なのです。  そんなある日。 「なあ中田」心なしかウキウキ顔の田中が中田に話しかけます。 「なんだい友よ」と中田は少し異常な受け答え。いつものことなので田中は気にせず話します。 「ついにおれにも彼女ができた」  その爆弾発言に対して中田の動揺は尽きません。「まじか!」と驚きの言葉に続いて「なぜだ!」と憤りの感想が漏れるのは、友人関係でありながらも童貞特有の心の狭さというやつでしょうか。サークルで仲良くなってお付き合いすることになるような同級生も、先生素敵と慕ってくれるような塾のバイトの担当生徒も彼には存在しないのです。田中に対する確固としたアドバンテージ、ラブコメもののような女友達との関係性もまったく進展しておりません。  つまりは逆転。この点におけるアドバンテージはディス・アドバンテージになったのです。 「それで、どこまでいったんだい?」  できる限りの平静を装い、思い切りゲスな話を聞きだします。心なしか田中には余裕のある態度が見え隠れ、童貞特有の挙動をしていない気がします。 「まさか」と中田は呟きます。ふふんと田中は笑います。  多くは語らず。それがもっとも効果的な振る舞いであることを彼は本能的に知っているとでもいうのでしょうか。  ゲストーークを開催する替わりに田中は口を開きます。「百度参りをするって言ったろ」何やらきな臭いものを感じる出だし。高価な壺が登場しないことを祈ることしか中田にできることはありません。童貞卒業疑いのかかった友人の話は、内容がどうあれ彼には聞くしかないのです。  田中は言います。「でも正直百度参りはやってられないなと思ったんだ。百日連続でお参りするんだろ? そんなの無理だろ。雨も降るだろうし、おれにも都合ってもんがある」 「そりゃあそうだろ。その困難に打ち勝ってお参りをするからご利益があるってもんなんじゃねえの?」 「ちょっとどうしたんですか中田さん。そんな立派なこと言っちゃって!」 「いや立派なことは言ってねえよ。苦行の類ってそうなんじゃねえの?」 「それがね、違うんですよ。百度参りには派閥があるんです。色んなやり方があるんですよ」  何故だか変に丁寧語を使いだした田中は百度参りの説明を行います。先ほどわたしが述べたような内容です。 「――というわけなんですよ」  なっ! という感じで相手に納得を強いる口調で説明を締めた田中は中田の反応を伺います。中田は当然いぶかしい。「それで?」と続きを促します。 「だから、おれは考えたんだ。こんなに色んなやり方があるんだったら、おれが新しい百度参りを考えてもいい筈だって!」 「新しい百度参り?」 「そう、新しい百度参り。要は百度参れば願いが叶うわけだろ?」 「いやそんなドラゴンボールを集めるみたいに言われても知らんけども。百度参りってそういうんじゃないんじゃねえの?」 「いやそういうのなんだって! 百度参れば願いが叶うの!」 「お前がそう考えるのは勝手だけどさ。まあいいや、それでどういう百度参りを考えたんだ?」 「でも完全オリジナルはよくないじゃん。ご利益がなさそうっていうかさ」 「ああやっぱりそこは気にするわけね?」 「そりゃあそうだよ。ご利益なければやる意味ないもん」 「たぶんそんな姿勢のお参りにご利益はないけどね」 「うるさいなあ。だからね、格言を組み入れようと思ったわけ」 「格言? どんな格言よ?」 「“石の上にも3年”っていうね」 「ことわざね。格言っていったら偉大な誰々の一言みたいになっちゃうからさ」 「うるさいなあ。でもそういう格言だったら組み込んでもご利益ありそうな気がするじゃん?」 「あ、もう格言で押し通るわけね? しかもご利益スタンスも変えないわけね」 「だからおれは考えたわけ。石の上にも3年の忍耐強さで百度参りすれば絶対願いは叶う筈だ、と」 「ええ~じゃあ3年間お参り続けるってわけ? 逆につらくなってねえ?」 「いやだから違うんだよ。3年間で百度参りするの」 「3年間で? するとだいたい1000日くらいになるわけだから、そこから百度?」 「そうそう。それならできそうな気がするだろ」 「できそうな気がするっていうか、それ頻度低くねえ?」 「格言だから大丈夫だろ」 「ことわざね。でも10日に1度くらいの頻度って、それほとんどサークル活動みたいなもんじゃない」 「それでさ、やってるうちに気づいたんだけど、同じようなこと考えるひとって世の中にはいるのね」 「同じようなことって、3年間で百度参りを?」 「そうそう。おれが行ってた神社で百度参りを、毎週土曜にやってたんだよ」 「怖! そんな女がこの世にいるの」 「おれも毎週土曜にやってたからさ、自然と話すようになっちゃって。やっぱり同じ活動を同じようにやってるもんだから、共通の話題ができやすいじゃない」 「だからそれってサークル内恋愛的なのよ」 「でもはじめる時期はあっちの方が早くって、もうじき百度を終えるみたいだった。だからこんな週末ももうすぐ終わりか~みたいに話してさ。向こうもおれもなんだか寂しくなっちゃって、会えなくなる前に思い切って告白しようと思ったんだ」 「サークルっぽい!」 「それでめでたく彼女ができたってわけよ。どうだ願いが叶っただろ?」 「結果的にはね。サークル入っとけばよかったんじゃねえかって印象は拭えないけども」 「まあでも彼女ができると余裕ができるといいますか、世の中にこの幸せを還元したいと思いますね」 「そうなの? えらいことを考えるじゃない」 「だからみんなも百度参りを3年かけるくらいの頻度でやればいいんじゃないかと思うわけよ」 「それ広めるの!? やめといた方がいいと思うけどなあ」 「でも成功例があるからね。さっそくお前にどうかと思ってさ」 「勧誘かよ。いいよおれは、やらないよ」 「ひとまず様子を見るだけでもいいからさ。大学生活が充実するよ?」 「それサークルの誘い文句じゃねえか! もういいよ」 「ありがとうございました」  といった次第に漫才のような掛け合いが繰り広げられることになったのかどうか。以上はすべてわたしの想像、フィクションの類であり、実在の人物やら何やらには一切関係ありません。  しばらく彼らはコイバナじみたやりとりを続け、「ところであの子とはどうなってんだい」と付かず離れずの距離にいる女友達との関係を田中が尋ねます。 「わかってるくせに」と中田は答えます。彼にとってディス・アドバンテージとなった女関係をあまり話したくはありません。「あいつとは幼馴染でずっと知ってる仲だから、今更口説くようなことを言うなんてなんだか恥ずかしくってできねえや」  一部べらんめえ口調のようになりながら、中田はそのように語ります。  しかしながら、彼とわたしの関係性についてはまた別の物語になりますので、また別の機会に話すことにいたしましょう。                」
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