#1 もしも元高校球児のボンクラが、ボーンノートを拾ったら

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 明日ーー多くの人にとってその言葉は、希望や安寧をもたらしてくれるものだ。  明日が来ることを疑わないから、人は未来への希望を抱いていける。  明日が来ることを信じてるから、人は現実への不満に耐えていける。  明日はきっと今日より良い日になるはず。  明日こそは、何かが変わってくれるはず。  そんな御都合主義で甘っちょろい、根拠も無い夢想を糧にして、人は日常を生きていく。  けれどーー。  病に身体を蝕まれた楓は、『明日』という言葉をどういう風に捉えているのだろう。  全身を苛む耐えがたき痛みを、意識を繋ぎ止めることすら困難な強い鎮痛剤で無理矢理鎮めて。  抗癌剤の副作用により、艶やかだった黒髪はすべて抜け落ちて。  水泡状の口内炎で埋め尽くされた口では満足に食事も摂れず、顔は骸骨のように、手足は枯れ枝のように痩せ細り。  正常な血液を作る術をーー免疫機能と自然治癒機能をほぼすべて剥奪され。  生命維持装置と鎮痛剤と栄養剤の点滴により人工的にーー強制的に、何もない無菌室で生かされ続け。  音もなく忍び寄る、刻一刻と迫り来る死の瞬間を、ただ覚悟することしかできない楓にとって、『明日が来る』という現象は、どんな意味を持っているのだろう。  その意味を、僕は想像したくない。  そもそも、楓が抱える痛みや苦しみを体感、共有できない以上、安易に想像して憐憫の情に身を委ねることは、辛い闘病生活を送る彼女への無礼にあたるのではなかろうか。
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