#1 もしも元高校球児のボンクラが、ボーンノートを拾ったら

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 誰にとっても時間は平等ーーなはずだ。  つまりーー。  一日を終えるということは、いつか必ず訪れる自分の命日に近づいたということだ。  大袈裟に言ってしまえば、人は産まれた瞬間に毎秒ずつ確実に死に近づいていく。    成人の老化現象が死への歩みであることは当然だが、  赤子の成長ですら、死へのカウントダウンとも言える。  しかしーー大多数の人は、『明日が来ること』と『死に近づく』ことを等号関係では認識していない。その二つを等号関係で結びつけている健常者がいるとしたら、それは赦されざる罪を犯した死刑囚しかいないのではなかろうか。  否ーー楓と死刑囚を同一視するだなんて、それこそ彼女への冒涜だ。  悪辣な哲学めいた思考をいくらこね回したところで、楓の病は治らない。ネガティブシンキングに溺れるぐらいなら、一刻も早くドナーが現れてくれることを祈るべきだろう。  後ろ髪を引かれる思いで、僕は病室を後にする。  今まで何度味わったか分からない虚無感であるが、  あと何度味わえるのか分からない虚無感でもある。  その恒常化してしまった虚無感ですら喪失した先に何が待ち受けているかーーそんなことは考えたくもない。
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