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台所はおじさんがお願いした餃子作りの途中だった。誰も何も話さず、お母さんとおばあちゃんとおばあちゃんの妹は餃子作りを再開した。医者は台所となりの茶の間でお茶をすすっていた。
私はいつまでも座敷から出てこないおじさんが気になっていた。もうあれから一時間近くになる。私はお母さんたちの目を盗んで台所から抜け出し、忍び足で座敷の前にやってきた。襖を少し開けて中の様子を窺う。横になる大おばあちゃんの枕元におじさんが先ほどと変わらない姿勢で、私に背を向け座っていた。すると、背を向けたまま私を手招いた。私は台所を見て、誰も来ていないことを確認すると座敷に入り襖を閉めた。小走りでおじさんの隣に座る。大おばあちゃんは相変わらず目は閉じたまま。
「おじさんは約束をした」
おじさんは一人で話し出した。
「もう誰も傷つけないことを」
私は大おばあちゃんを見つめたまま聞いた。すると大おばあちゃんの目から何かが流れた。私は驚いておじさんを見た。おじさんの顔は青白かった。
「さあ、私が三秒数えきる前に座敷から出てくれ」
おじさんの形相とトゲのある声に私は目と耳を疑った。
「さん」
私は思い切り畳を蹴って走った。
「に」
襖に手を伸ばし、体がぎりぎり通れるほどの隙間を開けた。
「いち」
襖を閉める瞬間、おじさんが「ありがとう」と言った気がした。
私が襖を閉めたと同時に座敷から甲高い機械音が鳴った。医者とお母さんたちが座敷目指し廊下を走っくる。私は何もしていないと言わんばかりに顔を横に振った。でもみんなそんなこと気にもとめず座敷に入っていった。
「十六時三十二分です」
医者が告げた。おばあちゃんとおばあちゃんの妹は泣き崩れた。お母さんも泣いていた。私は大人たちの異様な姿に涙が引っ込んでしまった。それに、おじさんがどこにもいないことも気がかりだった。
「あと数時間……もってくれたら」
「明日だったらみんなそろって見送れたのに……」
明日は大おばあちゃん百寿のお祝いの日だった。縁側を見ると、空が少し赤みを帯びていた。
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