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だって、彼が絵梨奈さんと結婚したのは、私の気を引くためだったのだから。回りくどくも、彼は私を自分のものにした。絵梨奈さんを人質に。
彼と会っていたその日、絵梨奈さんから彼と結婚すると聞かされて、めまいがした。
だって、私はその時――
「あ、そろそろ達也さんが帰ってくる」
絵梨奈さんが慌てて言った。時計を見ると、彼が帰ると言っていた十九時がもうすぐそこまで迫っている。
独り占めの時間はもう終わり。私は潔く、椅子から降りた。
「あれ? ごはん食べていかないの?」
キッチンに戻った絵梨奈さんが言う。私は笑顔を返した。口を上げて、喉に出かかった「まだいたい」という言葉を飲み込んで。
「うん。だって、せっかくの記念日だし。邪魔しちゃ悪いもん」
「そっかぁ。ごめんね、千夏」
「ううん。いいのいいの。楽しんでね」
「ありがと」
「それじゃあ、おやすみー」
玄関の戸を閉める。
鍵がかかる音を聴く。呆気ない軽い音に、ざわざわと寂しくなった。
「――ご褒美、堪能した?」
顔を上げると、安西先輩が目の前にいた。
私は素っ気なく「えぇ、まぁ」と返す。
「それは良かった。ご苦労さま」
私の気分を読み取って、彼は底意地の悪い爽やかな笑顔を浮かべながら、自宅の扉を開ける。
すれ違いざま、彼は私に何も言わなかった。
***
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