夢の隣

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 時代は予期もしない変革を遂げていた。北条亡き後、新世界を歩み出した後醍醐天皇が掲げた建武の新政はわずか3年で崩壊。公家一統を謳うその政治は、蔑ろにされた武士には受け入れられず、反旗を翻したのが尊氏であった。  帝は都を追われて吉野の山奥へと落ち延び、寺院を新たな朝廷と打ち立てた。南は後醍醐天皇。北は尊氏が担ぎ上げた光明天皇。二人の天皇と二つの朝廷が存在する、南北朝時代という暗闇へ向かっていた。  そんな混乱した世で、義貞の居場所は夢と仰いだ尊氏のもとではなかった。足利方へ流れる武士を繋ぎとめるために、源氏の血と尊氏によって与えられた討幕の功績を今さら掲げる後醍醐天皇のもとにいた。  南朝における武士の総大将を与えられた義貞。地位だけであれば、望みはある意味で叶ったと言えるのであった。  義貞は己の器の小ささは知っている。尊氏に並び立つなどと、夢を追うほど遠ざかってく背中。義貞は夢を捨てたのではない。そうせざる負えない立場に追いやられただけであった。  その過程で家臣の裏切りにあい。その家臣の求めた居場所はやはり足利であった。彼らも義貞と同様に、尊氏に夢を見てついてきた。  そして、最大の裏切りは、人生最後の忠義と選んだその相手。後醍醐天皇であった。彼もまた足利を求めたのであった。  吉野の山奥で朝廷を開く前。都を追われた帝は比叡山へと逃れていた。その時に尊氏の和睦案へ応じようとしていたのだ。しかし、その意志は総大将である義貞には秘密裏に画策されていた。  義貞が気づいたのは、帝が比叡山を密かに抜け出そうと動き出したまさにその時であった。和睦を応じるということは、此度の戦の責任を誰かが負うということである。その交渉に立つ帝が己を捧げるはずもない。では誰の首を渡すのかとなれば、総大将であり、それなりに領地を持つ義貞しかいない。  戦果を挙げる度に、神のご加護だと天皇の威光とひけらかしていた帝。それが今宵の闇を衣のように纏って逃げ堕ちていく。義貞は3000騎の軍勢で包囲した。和睦させるわけにはいかない。もはや己の夢を捨てたのだから。
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