夢の隣

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 義貞は2人の親王を自軍へ引き入れた。それはいわば人質である。和睦を許さないための処置であった。 その後、義貞は北へ向かい。帝は南へ向かい吉野の地を目指す。それは南北朝時代を作るきっかけであり、南朝の勢力の分断を生み、戦力の半減はその後の結末の決めてとなった。  義貞は北陸道を進み、金ヶ崎城を拠点とした。そこで足利勢の包囲を受けて、城の陥落とともに二人の親王をあっけなく失うことになったのだ。  さらに義貞は北朝において多大な戦果を挙げた武将を失うことになる。北畠顕家(きたばたけ あきいえ)である。足利方である上杉憲顕を退け、斯波高経を破り越前国府の攻略。その後も土岐頼遠、高師冬らに勝利を収めた顕家であるが、最終的には石津において足利軍との戦で戦死した。  そして、建武5年。義貞は越前国藤島にいた。そこが義貞の死に場所となるのであった。  義貞は家臣のもとから離れ、水田の上にひとり立っていた。幼い頃、修練に励み足腰を鍛えた時分を思い出していた。手には鬼丸国綱。義貞は妖を待っていた。問いたいことがあったのだ。  望んだ形は違えど、尊氏の隣に並び立つことはすでに叶っていた。にも関わらず、いっこうに自分の首を取りに来ない妖。妻にとり憑いたあの夜、消える前に言い含んだその意味の答えを正し合わせたかった。  義貞が思案の末にたどり着いた答えがあった。おそらく妖には望みを叶える力はない。妖が手にしていた鬼丸国綱も、その剣先に滴る血も足元に転がる生首も、すべて義貞をだますために作り出した幻で、未来を映したわけではないのだと。 「妖や・・・妖や・・・出ておくれ」  義貞の声には捨て猫にでも呼びかけるように、憐れみと温もりが込められていた。義貞に妖を恨む気持ちはない。むしろ感謝していた。それを伝えたいのだ。  妖の幻のおかげでわずか150騎での鎌倉への挙兵なんて暴挙に出れたのだ。官位もない貧乏御家人が足利尊氏の隣に並び立つなんて夢を与えてくれたのだ。  結局、妖は呼びかけに答えてはくれず。死に場所と知らずに挙兵することとなった義貞であった。兵はわずか50騎。平泉寺の宗徒が籠城する藤島城を落とすために向かった。
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