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 たった一度のその視線で判断して別れるのか、と人は思うだろうが、過去にラズールを好きなあまりにラズールの妹であるアイラに嫉妬心を向け危害を加えた者がいた。  アイラは決してブラコンのような強烈な兄愛を持っているわけではなくて、あくまで兄として家族として自分を慕ってくれているだけだ。嫉妬心を向ける理由が無い。またそんなことがあっては、自分の妹を傷付けられては困ると不穏を感じた大体心は決まってしまう。  そんなわけですっかりシェリーへの気持ちも冷めたラズールは、腕を振り解くようにして少年に歩み寄った。  近付いて見ると不思議なことに、彼をどこかで見たことがあるような気がした。  一体いつどこで・・・、記憶を思い出すように彼を見ていると記憶の影が重なった。  いや、やはり彼は知らない人間だ。昔、彼のように瞳を閉じていた黒髪の少女がいたのだ。  少年は瞳を閉じているものの、顔立ちは幼げで可愛らしいのが分かった。 着ているシャツは本来は真っ白なのだろうが所々くすんでいて草臥(くだび)れて、顔も薄ら煙がかったように汚れて見えた。  シャツの袖口から見える手首は細く、あまり良い生活を送っていないように見受けられた。  ただそれとは正反対に、椅子に浅く腰掛け背筋をピンと伸ばした座り方は綺麗で、きちんと躾けられたものに見えて不思議に思った。姿勢を正すことを教えるような親がいるのなら服装の清潔感にも気を使いそうなものだが自分が考えることが世の中の普通と言うことも無い。何か考えがあってそう躾けられたのだろうと無理矢理納得した。 「こんにちは」 「いらっしゃいませ」  居眠り中かと思ったが起きていたようですぐに言葉が返ってきた。しかしその瞳は閉じられたままだ。  声は思ったよりも高かった。鈴が転がるような声はあまり大きくはなかったがしっかり耳に届いた。 「このテーブルの上にある物が商品かな?」 「これはサンプルです。僕が作った香水を売っています。他のお店よりも香りは強くないので持続力は短いですがその分お値段もお手頃です。種類もまだまだ少ないですが、試すのは無料なのでどうぞ。気に入った物があれば現品をお出ししますのでお声掛け下さい」  さらさらと早口で言ってベビーピンクの唇は平行に閉じられた。発条(ぜんまい)を巻いたオルゴールから一気にメロディーが流れ出すのに似ていた。  怒っているでも焦っているでも無くただただ早口だった為、一瞬呆気に取られてしまったが、気を取り直してテーブルの上の小瓶に手を伸ばした。
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