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 一人の医者がいた。その医者には30年の経験がありベテラン扱いされ同僚の医者や看護師からの評判は極めて良かった。 30年も経験があれば自分が担当した患者との別れの数も数多である。普通に病状が回復し別れるのなら良いのだが、医者という職業である以上はこのような幸せな別ればかりではない。その数多の中には死別がある。始めの一人は末期のがん患者であった。懸命の治療を施したにも関わらず苦しみに苦しみ抜いたあの苦悶の表情は忘れられない。その時ばかりは自分の無力さを痛感し休憩室のベッドで突っ伏して枕が水たまりになろうかと言うぐらいに目を泣きはらしたものである。 医者は二度とあのような思いはしたくないと自分が担当する患者に対しては誰一人手を抜くことなく治療に努めた。だが、病魔の影は容赦の言葉を知らない。一人、また一人と担当した患者の命を奪っていった。その度に枕を濡らすものの、慣れというものは怖いもので30人を過ぎた頃からは「やれることはやった。後は運の問題だ」と言う悟りを啓くようになっていた。先輩の医師も「一人亡くなって心が折れていたらやってられないぞ」と励まし、その医者の悟りを評価するようになっていた。  そして、今日もまた一人患者が亡くなった…… 医師生活30年目に入った頃の話である。その日は医局にて医者の医師生活30年目を祝う軽いパーティーを行う予定だったが担当していた患者が亡くなったことでお流れとなった。 医者が医局の自分の机で亡くなった患者のデータをパソコンに纏めていたところ、パソコンから黒い煙が立ち上った。 「液晶の配線でもショートしたのか」 医者は医局の隅にある消火器を持ち出して黒い煙の立ち上るパソコンに向かって構えた。いざ噴射しようと消火器のピンを抜くと同時に黒い煙がいきなりとぐろ巻きとなり、何やら人の形になっていくではないか。こんな珍妙不可思議なことがあるわけないと医者が考えているうちにも人の形が形成されていく。
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