御陵の見る「善悪」:「悪」の御陵的定義

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御陵の見る「善悪」:「悪」の御陵的定義

「善」とは何か? 「悪」とは何か?  これは御陵の生涯の命題でもあります。  このお話の中には、現代社会の慣例・法令に反する言も出てくるでしょう。  それらは御陵の私見ですので、御陵の考え方を称揚・奨励するモノではありません。  一応、先にお断りさせて頂きます。  さて、「善」・「悪」とは何か? を定義しようとした御陵は、まず「悪」から考えました。  いろいろな思考実験を繰り返し、宗教文書やいろいろな方の文章を読んだ結果、御陵がたどり着いた「悪」の定義は、次のとおり。    「「悪」とは、我欲が過度に表出した状態を言う」  ひとが何かしようとするとき、その思ったとおりに行動できればいいのですが、そこはそれ社会生活を営む人間の哀しさ。  家庭、地域、学校・会社、サークルその他もろもろ、いろいろな社会組織に帰属せざるを得ず、なかなか思いどおりには行動できません。  もし、そういった「しがらみ」を無視した行動を断行し、周囲とのトラブルに至った場合、周囲はそのひとを指弾して言うでしょう。  「アイツは悪いヤツだ」と。  つまり、「悪」というのは、周囲の状況よりも自分の状況を優先した時に発生する状況、もしくはレッテルということになります。  そして「善」とはその反対の状況、もしくはレッテル。  結局、この世における「善悪」とは、こちらの仲間の方にも指摘されましたが、「立場で決まる」と断じても、あながち間違いではないと思います。  まあ陳腐な言でごめんなさいですが、「仇討ち」だとか「恋愛(不倫含む)」だとか、どちらの立場を取るのかによって、「善悪」なんて簡単に逆転しますから。 (で、お互いの非難合戦で泥沼にハマる、と)  これまた陳腐で済みませんが、  「人間百人いれば、ものさしは百本」ありますし、  「百匹の天使の中に悪魔が一匹いればソイツは「悪魔」だ。  しかし悪魔百匹の中に天使が一匹いたら、やっぱりソイツも「悪魔」だ」 というワケで。    この世において、「悪」とされる事柄はたくさんあります。  殺生(特に人間)、窃盗、ウソなど、契約宗教の「十戒」や仏教の「八戒」。  あるいは「国つ罪・天つ罪」とか。  現行法に定められた不法行為。  そのほか、仲間同士での背信行為などなど。  では、どうしてこれらが「悪」もしくは「してはならないコト」なのか?  その理由はどこにあるのか?     さて、目の前に、とことこと小さな女の子がやってきました。   金色がかった栗色の髪をちょんとツインテにした、   とっても可愛い娘さん(魔人アリス、みたいな)。   真ん丸な目で自分を見つめながら、   無垢で痺れるような満面の笑顔を浮かべ、   こんな質問を飛ばしてきました。   「ねえねえ、どうしてひとを殺してはいけないの? どうして?」   さあ、何て答えましょう……?    まあ、よくあるシチュエーションですが。    「常識だから」などと答えるのは無駄無駄無駄。  純粋な「なんで? どうして?」の嵐にはじき返されて、こちらが遭難することは目に見えていますから。  それこそオトナのブザマな敗北です。  ……御陵は、御陵なりの答えを持っています。  その答えを説明するためには、「どうして殺人などのいわゆる「悪」が、この世にあるのか?」を考える必要がある、そう御陵は考えます。  もう一つ、御陵の答えの前提条件として、御陵の信念「魂の永遠」が必要なのですが、これはまあひとそれぞれでしょうから。  いずれにせよ、「どうして「悪」がこの世に存在するのか?」については、また別項で。  これもヒドい電波系で、長くなるのが目に見えているので……。  なお、恐らく「善悪」を真剣に分析しようとすると、その対象となる行動の「動機(原因)」と「結果」を厳密に分けて、それぞれについて考えないといけないと思いますが、まだそこまで頭が整理できていないので、また改めて。    
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