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私が、小学校4年生になったばかりの頃。
お母さんに、急に「お隣のお家に行こうよ」って言われた。
お隣のおばさん、そういえば最近見てなかったなぁ、なんて、幼心に不思議に思いながら着いて行ったら。
ふわふわの服を着た、ちっちゃいちっちゃい女の子が、お布団で大切に大切に包まれて、ベビーベッドの中で眠っていた。
お母さん達は紅茶とお話に夢中だったけど、私は赤ちゃんに夢中だった。
大好きなチョコレートケーキを断るくらい、赤ちゃんの側にずっといた。
「ひかりっていうんだよ。よろしくね。」
お隣のおばさんにそう言われたから、私は小さい声で、赤ちゃんのことを「ひーちゃん」って呼んだ。
すると、おめめがぱちっと開いて。
あっ、泣いちゃう。
そう思ったのに。
ひーちゃんは、おっきいおめめで私の方をじっと見て。
顔の両脇にあるおててが、少しもぞもぞしてて。
私はそーっと、小さいおててに指を近づけた。
そして、また「ひーちゃん」と小さい声で呼ぶと。
ひーちゃんは、ちっちゃい手で私の指をきゅーっと掴んでくれた。
可愛い。
すっごく可愛い。
「ひーちゃん。私は美沙だよ。よろしくね。」
お話中のお母さん達にきこえないように、小さな声で、私もひーちゃんとお話をした。
10歳も離れてるひーちゃんは、可愛くてしょうがなかった。
私は友達と遊ぶのを3回に1回くらいのペースで断って、ひーちゃんのところに遊びに行った。
ちっちゃいひーちゃんは、笑うようになって、立つようになって、お話するようになって、1人で歩けるようになって、あっという間に私に着いてくるようになった。
私の友達ともひーちゃんは遊べるようになったけど、少し人見知りなひーちゃんは私の側から離れなくて。
それが堪らなく可愛かった。
中学に入っても、高校に入っても。
テストや部活で忙しくても、ひーちゃんと会う時間は作るようにした。
大学に入っても、就職しても。
ひーちゃんと一緒に遊びに行ったり、お給料でひーちゃんと服を買いに行ったりしたけど、やっぱり私もひーちゃんも一緒にお菓子を作るのが好きだった。
私は中学で家庭科部に入ってから、お菓子作りが楽しくて。先輩や先生からきいたことを、家に帰ってきて得意げにひーちゃんに教えていた。
ひーちゃんが、キラキラした目で見てくれるのも、本当に可愛かった。
ひーちゃんが生まれた時から、私はずっと一緒。
ひーちゃんが生まれる前にどうやって1人で過ごしてたのか、もう覚えていない。
私もひーちゃんも1人っ子だけど、たぶん妹がいたらこんな感じだろうな。そのくらい、一緒にいた。
なんとなく、これからも一緒だって、無意識のうちにぼんやり思ってた。
けど。
「美沙、行くよ。」
私を呼ぶ、少し低い声。
少しクマさんみたいな体型のアナタ。
「もう、荷物は全部積んだの?」
「うん。終わったよ。」
「ありがとう。ごめんね? あんまりお手伝いできなくて。」
「いいよ。むしろじっとしてて。それが、今の君の仕事なんだから。」
「少しくらい大丈夫よ? お医者さんにも言われてるから。」
「でも何かあったら困るし....。」
「あははは、心配性だなぁー。」
ねー、なんて。
話しかけるように、自分のお腹を撫でる。
ようやく少しお腹が出てきた。
腰の痛さや息苦しさも若干感じるけど。ひーちゃんが生まれたあの時のことを思い出すと、この少しの辛さが愛しく思える。
「美沙ちゃん! 」
「あっ、おばさんー。」
ひーちゃんのおばさんが、お隣のお家の玄関から出てきた。
明るくて可愛らしい雰囲気が、ひーちゃんとおんなじ。
「あぁよかった! まだ出発してなくて! 」
「ふふ、まだでしたー。」
「はいこれ。美沙ちゃんと、旦那さんと良かったら飲んで? 」
手渡された紙袋の中身は、紅茶のティーパックが入った箱だった。
おばさんが、もう何年もお気に入りの。
「ええ、これいいやつなのに。 」
「いいのよ! 美沙ちゃんに飲んでほしくて! 」
「おばさんの分、なくなってない? 」
「まだ沢山あるから大丈夫! 貰って? 」
「うんっ。ありがとう、おばさん。」
そう言うと、おばさんは私をぎゅーっと抱きしめてくれた。
「美沙ちゃん。幸せになってね。」
私より少し背が低いおばさんから、ふわりと一瞬、紅茶の香りがする。
「おばさんも。おじさんとひーちゃんと、仲良くね? 」
私が言うと、おばさんはハッとした顔をして、私の方を見た。
「ねえ。ひーちゃんとは会った? 」
「....あ、それが。昨日も呼んだんですけど、忙しいからごめんねって言われちゃって....。」
「そっか...。ひーは美沙ちゃん大好きだったから....。」
そう。
私が、引っ越すと伝えたあの日から。
週に3、4回は会ってたはずなのに、週に1回も会わないことが増えた。
もう暫く、ひーちゃんの顔を見ていない気がする。
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