樹海

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樹海

「おいッ、どっちに行けばいいんだよ!?」  そう言って()()(まさ)()を乱暴に小突(こづ)いた。 「どっちって言われても……」 「何のためにオマエを連れてきたと思ってんだッ、地図担当だっていっただろ!」 「もぉ、サイアクなんだけど」  令男だけでなく()()()も昌樹を()める。  誰も連れて行ってくれなどと頼んでいない、だがそれを口にすることはなかった。代わりに彼は、 「ちょっと待って……」  と答えてスマホの地図に眼を落とした。  今、三人は富士の樹海に来ている、令男がいきなり肝試しに行くと言い出したのだ。  昌樹は誘われたと言うより強引に付き合わされた。  令男とは大学のゼミがたまたま一緒だっただけで、特に仲が良いわけではない。向こうが一方的にからんできて、気が付けば(しや)(てい)扱いをされていた。  気が弱い昌樹はそれを嫌だと言うことができず、今日も運転手と地図係を言い渡されてここにいる。  移動の最中も令男は後ろの席でずっと絵里香といちゃついていた、彼女とは先月付き合い始めたばかりらしい。なら二人きりで出かければいいと思うが、令男という人間は自分の力を誇示したがる。昌樹が令男に従うところを絵里香に見せて自慢したいのだ。  昌樹はスマホの地図を見たがGPSが作動していない、自分たちがどこにいるのか把握するのは不可能だ。 「いつまでモタモタしてんだ!?」  令男はいら立たしげに昌樹のスマホを奪い取った。 「おいッ、GPSがダメじゃねーか!」  昌樹を睨む。 「うん、だから……」 「だからじゃねぇよ! どうやってこっから帰るんだよッ?」  それはこっちが聞きたい。 「ちょっとマジ? もう暗くなってんのに……」  絵里香が不安げな声を上げる。令男はオレがいるから大丈夫だと彼女をなだめた。 「何とかしろ!」 「そんなこと言われても……」 「先に行って、誰か呼んで来いよ」 「でも、そうしたらここへ戻ってこられなくなるよ」 「オマエは戻ってこなくても構わねぇんだよ! とにかく助けを呼んでこいッ」  その助けにこの場所を教えることができないことが、どうして解らないのだろうか。しかし、これ以上令男と言い争いをするのも嫌なので、昌樹は取りあえずこの場所を離れようとした。 「あなたたち、こんな所でなにをしているの?」  声がする方に眼を向けると見知らぬ若い女性が立っていた。  長い黒髪で黒目がちの瞳が印象的だ。 「あの……」 「オレたち、道に迷っちまって……キミ、樹海に詳しいの?」  昌樹を遮り、令男が絵里香を振り払うようにして女性に近づいた。 「自殺に来たって感じじゃないわね? いいわ、ついてきて」  彼女は(きびす)を返して歩き出した。昌樹たちは後を追うが、令男は彼女の隣まで行き話しかける。 「ねぇ、オレ、令男っていうんだけど、キミの名前は?」 「マナよ」  令男の問いにそっけなく答える。 「へぇ~マナちゃんか。マナちゃんはどうしてこんな所にいるの?」  興味津々で令男はマナに話し続けるが、それに比例して絵里香の機嫌はドンドン悪くなっている。  昌樹は内心溜息を吐きつつ、巻き込まれないように一番後ろを歩いていた。  パキ。  後ろから音がして振り返るが何もいない。いや、だいぶ暗くなっていてよく見えないので確認できないのだ。動物でもついてきているのだろうか、クマやイノシシならさすがに判るはずだ。  取りあえず樹海を出られればいい、クルマの中で令男と絵里香が揉めないことを祈ろう。  パキ、パキパキ。  また後ろから音がした。再び振り返るがやっぱり何もいない。 「さむい……」  絵里香が言った。令男の気を引きたいのかと思ったが、本当に冷えてきている。時期的には初夏だが夜から朝方はだいぶ冷える、森の中なら尚更だろう。  しかし、令男はマナに話しかけるのに夢中で絵里香の言葉に気が付かない、それとも無視しているのか。  話しかけられているマナは彼に興味がないのか、ほとんど反応を示さず黙々と歩き続ける。 「ちょっとッ、アンタの上着貸しなさいよ!」  絵里香が振り向き昌樹を睨んだ。令男に文句があるなら本人に言えばいいのにと思いつつも、自分の上着を脱いで絵里香に渡す。   あれ?  暗くてよく判らなかったが霧が出ている。 「マズいわね……」  大きな古木の脇で立ち止まり、マナが呟いた。 「なに? どうしたの?」  会話するチャンスと思ったのだろう、嬉々として令男が尋ねる。 「霧が濃くなっている、このまま進むのは危険よ」 「え? じゃあ急がなきゃ」 「今、言ったでしょ? この状態で移動するとまた道に迷うわ。ここで霧が晴れるのを待ちましょう」  彼女は古木の根元にしゃがんだ。  さすがに状況を飲み込めたのか令男の顔が険しくなる。 「急げばなんとかなるだろッ?」  マナは首を左右に振った。 「ジョーダンじゃないわ! アタシはイヤだからねッ」  絵里香は独りで先に進もうとした。 「道に迷ったら命に関わるわよ、それでもいいなら自己責任でどうぞ」  絵里香は敵意をむき出しにしてマナを睨んだ。  さすがに令男がなだめて、絵里香は渋々その場にしゃがんだ。   それにしても寒いな……  上着を絵里香に取られてしまったので、なおのこと寒さが身に染みる。(たき)()はできないだろうか。  ライターを持っていないか令男に聞こうとしたら、  パキ、パキパキ……  何かが近づいてくる、先ほども聞こえたが何も見えなかった。 「ナニッ?」  絵里香も音に気づき怯えた声を出して令男にしがみついた。 「しッ、静かに! この木のそばに来て」  声を抑えつつ鋭い声でマナが言った。  状況がよく解らないが危険が迫っているのは間違いない、昌樹は急いでマナのそばに移動した。  令男も昌樹以上に素速くマナの近くに行きたいようだが、絵里香がそれをゆるさなかった。 「放せよッ」  しがみついて放さない絵里香を振り払おうとする。 「あの女、おかしい!」 「ハァッ? おかしいのはオマエだろ!?」 「ナンでアタシの言うことを信じてくれないの!? 令男のカノジョはアタシなんだよ!」 「カンケーねェッ!」  むりやり絵里香を振り払ってマナの近くへ移動した。 「令男!」  涙を浮かべて絵里香が叫んだ。  次の瞬間、絵里香の顔が恐怖に歪むと、何かに霧の奥へ引きずり込まれた。 「キャー……」  彼女の悲鳴が一気に遠ざかり聞こえなくなる。  昌樹は恐怖で声もでなかった。 「な、なんだよ……なにがどうなってんだ……」 「百鬼夜行よ」  マナが感情の籠もらない声で言った。 「なんだそれ?」 「鬼の群れのこと。百匹の鬼が樹海をうろついているの、人の魂を求めてね」 「ジョーダンだろ?」  令男が引きつった笑みを浮かべる。  ウソじゃない、と昌樹は思った。普段なら妄想だと笑い飛ばしただろう。だが霧の中に見えた影には、角があった気がする。  角なら鹿や牛にだってあるが、あれは動物なんかじゃない。 「おいッ、昌樹、見て来いよ!」  とんでもない命令に驚いて令男を見つめる。 「モタモタしてないで早く行けッ、絵里香に何かあったらどうすんだよ!」  彼は昌樹を蹴飛ばした。 「やめて、行きたいなら自分で行きなさい」  ()(ぜん)とした態度でマナは言った。 「あんたには関係ないッ」 「彼にも関係ないわ」 「オレたちはトモダチだ」 「友達なら身の安全を考えるべきでしょ」 「だから絵里香を探すんだろ」 「もう手遅れ、犠牲者を増やすだけよ」 「手遅れって……」  その時、霧の中から何かが出てきた。  マナが昌樹の手を掴み引き寄せた。令男も慌てて古木の陰に身を隠す。  それは一見するとボロボロの服を着た人間のようだが、頭には二本の角が生えていた。   鬼……本当に鬼だ……  その鬼は何かを探すように首を巡らせながら通り過ぎて行った。  ホッとしたのもつかの間、次々に角があるモノたちが霧の中から出てきては何かを探しながら通り過ぎる。  まさに鬼の行進だ。行進はいつ終わるともなく続く、本当に百鬼いるかもしれない。  三人は凍り付いたかのように百鬼夜行を見つめ続けた。  永遠に続くと思われた行列にも終わりがあった。最後の鬼が通り過ぎてから、しばらくしても次の鬼が姿を表さない。  とっくに夜が明けてもいい時間のような気がしたが、スマホを見ると地図を確認してから三時間も経っておらず、まだまだ夜は続く。 「ナンだよ、アレ……」  やつれた表情で令男が呟いた。 「わからないの? あれが百鬼夜行よ」  冷ややかな視線を令男に向ける。 「こんな所にジッとしてらんねぇよ、今のうちに行こうぜ」 「行くってどこに?」 「樹海をでるに決まってんだろッ?  おい、昌樹、何とか帰り道を探せ!」  夜に加えて霧が出ておりGPSも使えない、こんな状況でどうしろというのか。 「今、動くのは危険だよ」 「バカかオマエッ? ここにいる方がもっと危険だろ!」 「でも……」 「彼の言う通りよ、ここから離れれば鬼たちに見つかって()(じき)にされるわ」  そうだ、なぜかは解らないが、百鬼夜行はすぐそばを通っても昌樹たちに気が付かなかった。この古木には何か霊的な力があるのだろうか。 「うるせぇッ、イヤならオレ独りで行く!」 「待ちなさいッ、死ぬわよ!」 「オレに命令すんじゃねぇッ!」  怖くてジッとしていられないのだろう。恋人の視線も気にせず口説こうとしていたときとは打って変わり、乱暴な口調でマナを怒鳴りつけると、令男は百鬼夜行が通り過ぎたのと逆方向へ小走りで去って行った。 「待ってよ!」  追いかけようとする昌樹の手をマナが掴んだ。振り返ると彼女は無言で首を左右に振った。    昌樹はあきらめてマナの隣に腰を降ろした。  二人とも黙って座り続ける、不気味なほどの静けさだ。  身体が震え始めた、震え上がるほどの恐怖で逆に寒さを忘れていた。  ふわりと肩に何かがかけられ、右半身に温もりを感じる。  マナが自分の服を脱ぎ身体を昌樹に押しつけている。 「寒いんでしょ」 「でも……」 「私も寒いから、ね」  昌樹は緊張しつつもうなずいた。  マナは頭を昌樹に預け、更に身体を密着させた。  甘い女性の香りが鼻孔をくすぐる。こんな状況にも関わらず、昌樹の身体は男の反応をし始めた。 「大丈夫よ、ムリしないで」  自分を抑えようとしていると、マナが囁き、彼女のしなやかな指が彼自身に絡みついた。
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