第29話 救済 中編

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第29話 救済 中編

――それから約一年後。 いつも通り勉学に励む子供たち。 この施設にいる誰もが幸せな笑顔を見せていた。 そんなある日――。 ラドや他の子供たちが施設のベットで眠っていると、ドゥーガルドが部屋に入ってきた。 ドゥーガルドは酷く慌てた様子で、全員にここから今すぐ出るように言う。 「みんな早く支度してくれ。これからイギリスに行くんだ」 あまりにも急なことに誰もが戸惑った。 結局は誰も彼については行かなかったが、ラドだけがドゥーガルドの言うことを信じて部屋を出て行く。 施設を静かに進みながら、ラドはドゥーガルドに訊いた。 何故、突然イギリスに行くのか? クロエはそのことを知っているのか? 不思議そうな顔をしてドゥーガルドの服の端を引っ張るラド。 「おいおい話してやるよ。おいおいな」 ドゥーガルドは笑顔でそう返した。 施設から出て、少し離れた草むらで、オートバイを取って来るから待っているように言われたラドは、言う通りにその場でじっとしていた。 ラドは思う。 ……大丈夫、大丈夫だよ。 何も話してくれないけど、ドゥーガルドの言うことに嘘はない。 きっとイギリスへ勉強しに行けるんだ。 ラドが草木に隠れうずくまっていると、そこへ強い光が照らされる。 「ダメじゃない。こんな夜中に外へ出ちゃあ」 そこには屈強な男たちを引き連れたクロエがいた。 彼女が微笑みながら髪を払う。 そこから見える耳ついたイヤーピアスが、強い照明の反射によって光る。 ラドが戸惑いながらドゥーガルドのことを訊くと、クロエは優しく話し出した。 ドゥーガルドは、これから施設のみんなが経験することを先にやっている。 せっかくだからラドにも見てほしいと言った。 ラドは、そのクロエの穏やかな態度に安心してついていく。 そしてクロエに連れられ、また施設に戻り、今まで入ったことのない部屋の扉へと足を踏み入れた。 扉の向こう――。 それを見てラドは言葉を失った。 扉の中は、目に痛いほどの照明に満ちた場所。 無菌室じみた空間に、見たこともない精密機械が並んでいた。 そして――妙なものがある。 規則正しく配列された透明な長方形の箱。 箱の中に入っているのは人間だ。 パッケージングされた人間が大量に並んでいる。 どれだけの数があるのか、一見しただけでは把握(はあく)はできない。 並列接続された無数のパッケージ「人間」。 箱の中を満たす液体を送っているパイプが、リズムを刻むように動いていた。 ラドは恐れおののきながら(つぶや)く。 「何……これ……?」 あまりの驚きに、自分の唇から出た言葉がまるで他人の声のようだった。 聴覚も視覚も、この光景を見てから現実感を失っていた。 クロエは、そんなラドに優しく言う。 「ここはね。今ちょっと新しいことを始めているの」 クロエは、以前ここで合成種の実験をしていたが、今はクローン実験を切り替わったと話す。 「私の愛する人……。いえ、彼が戻ればあなたたちのような不幸な子供を無くすことができる。そのための設備なのよ」 瞳孔(どうこう)が開いたままのラドに、クロエは続けた。 イギリスは、最初の「試験管ベビー」ルイーズ・ブラウンをはじめとして、クローン羊ドリーにいたるまで、生殖技術の先進国である。 クローン技術に関しても、いち早く、研究のためにヒトクローン胚を作成することを認める法律を2001年1月1日に可決した。 だが一方で、クローン人間の作成に関しては、2001年末に単独のクローン人間禁止法を制定している。 「ドリーを産んだクローン技術は、“体細胞核移植”と特徴づけられているわ。体細胞から採ったDNAを含む核を取り除いた卵細胞に移植してクローンを生み出す技術よ。でも、その技術はドリーに始まったことではないの。すでに1952年に、アメリカの発生学者ブリッグスとキングの手によって、また1962年、英国の発達生物学者ガートンによっても、カエルを使ったクローニングに成功しているのよ」 「クローンって……。じゃあ人間を作る気なの? 人って作れるの?」 震えながら訊くラド。 クロエは、微笑みながらラドの頭を優しく()でた。 「いい子ねぇ」とでもいうような感じだ。 「1998年にインターネットのサイト上に、死んだペットや人のクローン作りを引き受ける“クローンエイド”という会社の広告が出されたり、同年に韓国の大学医療院チームが人間の細胞を使ったクローン実験で、細胞分裂に成功したといった発表があったり、2001年アメリカのACT社が、ヒトクローン胚の培養に成功したニュースがあったけど、実際に人間を作れたかは、どれも疑問だわね」 首を(かし)げながら、両腕を組んでいうクロエ。 「だけど私は近づけた。もう少し、あともう少しなのよ」 クロエがそういうと、手早く動くロボットアームが透明な長方形の箱を二人の前に運んでくる。 それを見たラドは(ひざ)をついて叫んだ。 その長方形の箱には、四肢を捥ぎ取られたドゥーガルドが入っていたからだった。 「なんで……なんでドゥーガルドがこんな目に……」 箱にすがり、泣きながらいうラド。 クロエは、まるで赤子をあやすように言う。 「残念結果になってしまったわ。彼が博愛主義者なんて思ってもみなかったから。でも安心して。私の技術で彼の手足を元に戻して見せる。それとラド。あなたにはプレゼントがあるの」 クロエがそういうと、泣いていたラドは気を失った。 気がつくと、いつも眠っている部屋のベットの上だった。 だが、そこに他の子供たちは誰一人いなかった。 目が覚めたラドは部屋にあった鏡を見て、自分の姿に驚く。 あれだけやせ細っていた身体が筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)になっており、低かった身長が30cm近く伸びていたからだ。 「一体どうなっている? クロエは……俺の体に何をしやがったんだ!?」 訳が分からないラドは、鍵のかかった部屋のドアをぶち破り、施設内からドゥーガルドを探し出し脱走した。 そのときに見つけたドゥーガルドの体に、失った四肢が戻っていたことにラドは喜ぶ。 「大丈夫、大丈夫だよドゥーガルド。俺があなたを助けるから。絶対に絶対に助けるから」 その後、ラドはドゥーガルドを背負って、インドとネパールの国境付近へと向かった。
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