4 トニヤ・ジョッセルは、下手糞画家呼ばわりされる

8/8
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/65ページ
「先に別件の用事を片付けてくるよ。遺跡の近くで発見された惨殺死体の件もだが、別口の重要案件もあってね。そのあとで、またお伺いするとしよう。妹がこの屋敷を居場所に選んだのには、妹なりの考えがあるからだろう。しばらくは彼女のお手並み拝見、としようか。君には少し迷惑をかけるかもしれないが、どうか彼女の滞在を許してやってくれ」  トニヤ・ジョッセルは、別れの挨拶に右手を差し出した。ジェレミーは躊躇しながらも、その手を握り返した。 「ご期待に沿えず申し訳ありませんでした。この件は、僕なりに調べてみましょう。もしよろしければ、妹さんのお名前をお聞かせ願えますか?」 「ありがとう。妹の名前はマリーベル。三年前に死亡した時には結婚していたので、マリーベル・ブッチーニという名前だったよ」 「えっ。妹さんは、もう亡くなって……いらっしゃるのですか?」 「その通り。おっと、重要なことを忘れるところだった」  得体の知れない画家は、ジェレミーの胸元を指差した。 「君に呪詛をしかけた相手だが、何か手掛かりがあったら教えてくれるかな?」 「は、はい。名前を聞きました。ゲル……。確かアナスタシア・ゲルトルーデと名乗ったと思います。黒衣の美しい女で、外国の猫のようでしたが」  ジェレミーが語ると、トニヤ・ジョッセルの顔つきがみるみるうちに険しくなった。  青と緑のまだら模様になった瞳がギラギラと異様な光を放って、若い差配をたじろがせる。 「せっかくですが、その件は僕自身で調べようと……」 「止めておきたまえ。あの魔女に関わると、今度こそ命を落とすよ」  魔女というおとぎ話めいた表現を使ったが、トニヤ・ジョッセルの表情には、ひとかけらの笑みもなかった。言葉にこもった力も強く、ほとんど命令に近い語り口だ。  ジェレミーはすっかり気圧されて、次の言葉を失ってしまった。 「ジャック、僕の用事は終わったよ。うまそうな食事を口にできないのはの残念だが、失礼するとしようか」  画家はジョンとジェレミーに一礼をすると、黒猫の執事とともに屋敷を去った。  遠ざかる馬車を見送りながら、ジェレミー・ディスフォードは性質(たち)の悪い妖精に化かされたかのようにして、しばらくの間立ちつくしていた。
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!