さくらんぼ

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「…え、えっと…、か、髪の毛…、切りに来たんですよね」 彼女は僕の手を振りほどき、慌てて準備をする。 いや、そうじゃなくて…。 …待てよ、 そうじゃなかったら、どうなんだ? 僕は口をつぐんだ。 「ど、どうぞ」 さっきまで用意していた待ち合い椅子は、もう蚊帳の外で、散髪の準備を進める彼女。 僕は言われるがまま、散髪用の座席に座る。 不慣れな手付きで、僕に散髪用のクロスを掛けた。 「そ、その、…い、いつもは、祖父がやるんですけど…」 そんな事は聞いていないのに、彼女は僕の髪を触りながら小声で呟く。 彼女の指が僕の髪を通る。 それは、柔らかくて、自分と違う体温(ねつ)を持っていて、その存在をアピールしてくる。 「私も一応、理容師の資格、持っているので…」 「そうなんだ…」 なるだけ自然に返事をしたつもりだった。 一通り僕の髪を撫でた後、彼女は僕の髪に櫛を通す。 僕らは無言だった。 髪を切る音だけが店内に響き、ただ時が進む。 …鏡に写る彼女が見えた。 その、鏡に写った瞳がやっぱり寂しそうに見えたのは、僕の思い過ごしなのか…。 一通り髪を切り終え、洗髪に入る。 洗髪後、ドライヤーで髪を乾かす。 僕は彼女の様子を知りたくて、また、鏡を見た。 ん? あれ? 「…ご…ごめんなさい…」 彼女は両手を自身の口に当てていた。 「ちょっと、切りすぎちゃった…みたい…」 僕の髪型は、どうにも先進過ぎる髪型になっていた。
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