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(79.)
あれから三階の一室まで赤羽さんに裕璃を運んでもらい、そこから裕璃が起きるまでただ無駄に時が流れるのを待っていた。
室内には僕と赤羽さん、そして見張り役だろうか、起きたらすぐに行動するためか朱音もいる。
慣れない組み合わせに、僕たちは会話を交わさずただただ裕璃の様子を眺めていた。
裕璃がまぶたを開いたときには、既に夕方を迎えていた。
「あれ……お父さん? に……豊花……」
裕璃は少しだけ落ち着いていた。先程までの起きたらすぐ発狂ということがないからだ。
「裕璃……」
「起きたか、裕璃」
赤羽さんと二人で安堵する。
しかし、朱音さんをチラリと見ると、早く説明してほしいのか、特別笑顔だったりしていない。
なぜか焦らされている気がして、僕はこれからの裕璃がどうなるか説明を始めることにした。
「裕璃……悪いんだけど、これから異世界に逃げてもらう」
「い、異世界……? え、どうしーー!? ぁ……ぁぁ!」
「落ち着け、裕璃!」
思い当たる節を探そうとして、なにか嫌な事を思い出してしまったのか、急に顔が蒼白に染まる。
赤羽さんが肩を抱きながら、落ち着くまで暫し待つ。
「逃げるんじゃなくて、仕事を手伝ってもらうんだけどね。まあ、それは大義名分で、実際には逃亡と変わりないか」
「し……仕事って……? わ、私は……皆を殺して……捕まって……閉じ込められてたはず……」
「それを豊花ちゃんたちが手伝ってくれて助け出したんだ」
「お父さんや……豊花が……?」
裕璃は僕と赤羽さんを交互に見る。
僕としては手伝ってもらった側なんだけど、赤羽さんからしたら愛のある我が家や僕は手伝ってくれたという立場なんだろう。
「でも、級友を殺した君には、現在こちらに居場所はない。だから、ぼくの異能力で作り出した異世界に行き、仕事をしてもらう。そうしている間は、ぼくが異世界の扉を開いたりしなければ安全だよ」
「え……でも、そしたら豊花に会えない……」
「自分がなにをしたのか忘れてねぇよな?」
「……」
赤羽さんは娘を怒る父親の目をしながら、裕璃を窘める。
そういえば、異世界でどのような仕事をすることになるのだろう?
以前聞いた気もするが、そのときは裕璃を助け出すのでいっぱいいっぱいだったからか、あまり覚えていない。
「安心しなよ。一生会えないわけじゃない。覚醒剤の密造に関わるようになれば、手渡し役としてこの子が働いてくれたらいい。まだ豊花の仕事の配役は決まっていないけど、愛のある我が家の一員になったのは事実なのだから」
か、覚醒剤……。
そうか。密造の監督役とか言っていたっけ。
というか、やっぱり愛のある我が家の一員になってしまったのか。瑠璃はなんて言って怒るだろうか。既に連絡を受けているかもしれない。
異能力者保護団体に入ったばかりで辞めたんだ。次の機会、一度、異能力者保護団体まで足を運んで、色彩さんや美夜さんにも謝罪しに行ったほうが良さそうだ。
「代わりに、瑠奈には完全にこちらの住民と化してもらう。というより、向こうには理由があって瑠奈もシルフィードも帰れなくなるからね」
朱音が説明するには、今回は最後の別れをするためにも瑠奈を連れていくが、あちらのアリシュエール王国? とやらにルーナエアウラさんが帰ってきたことで、瑠奈の帰る居場所がなくなったこと。以前暴走して精霊の横やりで人と人との争いに手出ししたことで、他の精霊から袋叩きに遭う可能性をつくってしまい帰れなくなったこと。
この二点で、二人は元の異世界には帰れなくなってしまったらしい。
「ねぇ……じゃあ、豊花、私たちは、やっぱり付き合えないのかな?」
と、裕璃の懇願するような表情。
しかし、僕は……ここは否定しなくてはならない。
元々僕の好きな相手も、今でもそのままかはわからないけどーー恋人なのも瑠璃だ。それに、ここで裕璃に同情して返事を鈍らせたら、裕璃を引き留めてしまうかもしれない。
「ごめん……」
僕は頭を下げる。
「……」
「裕璃。豊花ちゃんの気持ちも少しは考えろ」
「……ごめんなさい」
裕璃の頬に涙が伝う。
「安心してくれ。君にはいずれ、少しでも生活できるようにするため、豊花や赤羽さんとは定期的に会ってもらい、会話をしたりすることから始めてもらうよ。いきなり覚醒剤とか言われてもわけわからないと思うし、向こうでも少しは休んでてもらうからさ」
「……はい」
裕璃はその言葉に対して、静かに頷いた。
「さて、異世界転移の場所は、ここから少し離れた古アパートにある。瑠奈を呼んでくるから、皆でそこへ向かおう」
異世界転移……か。小説や漫画で稀に目にするけど、まさかリアルでそんな場所に行くことになるとは思いもよらなかった。
……まあ、僕の場合は単なる付き添いだ。本当に異世界での暮らしを始めるのは、裕璃ただひとり。少なくとも、楽しい生活を送れるとは思えない。
と、いきなり玄関が開く。
そこには、微風瑠奈の姿があった。あまり気乗りしないような表情をしているが、微かに笑顔が混じっていることもあり、どういう意図があるのかわからない。
「じゃ、朱音。いつものアパートへ行こう!」
……うーん。瑠奈は戻りたくないんじゃないだろうか?
なのに妙にルンルンソワソワしたように、朱音を急がせる。
「そうだね。豊花、赤羽さん、裕璃さん。早速、異世界転移ができる拠点に行くよ」
「おう」「はい」「……」
僕と赤羽さんは返事をするが、張本人の裕璃は、ただただ無言で頷くだけだった。
やがて、僕を含め五人ーー僕、裕璃、赤羽さん、朱音、瑠奈ーーで、マンションの外へと出掛けたのであった。
(80.)
辿り着いた場所には、一見古びた築何十年も経っていそうな古アパートがあった。
なんじゃこりゃ……本当にここに異世界へと繋がるゲート的な場所があるのか疑わしくなる。未だに朱音さんが僕たちを悪戯で騙そうとしているんじゃないかと心配にもなる。
しかし、アパートの二階へ登ると、違和感のある通路に遭遇した。
先程まで一室一室は均等に玄関が離れていたのに、一ヶ所だけ入り口が見当たらない広い空間のある壁があるのだ。両隣だけ広い部屋になっていたりしないかぎり、この空間はおかしい。
朱音は、唐突にそのなにもない壁を叩き始めた。
するとーーガンガンッと玄関を叩いているような音が鳴り始めた。コンクリートを叩くのとは違うような音が……。
「くそ、また寝てるのか……仕方ない。合鍵を使うか」
朱音は壁周りを触り始めると、何処かに触れた瞬間、その周囲を念入りに調べ始めた。すると、何もない壁に向かって鍵を突き立てた。ーーかのように見えたが、鍵は何もない白い壁に向かって吸い込まれるように消える。それを朱音はそのまま真横に捻った。
と、捻った直後、朱音がまだなにもしていない状態なのに、急に目の前に扉が現れた。
そのまま扉が内側から外へと開かれる。
「アリーシャ……さっき連絡したんだから起きててくれないと困るよ……」
「ふぁ~、すみません……眠くて」
中から声と共に現れたのは、眠気眼の、せっかくの綺麗な長い銀髪をボサボサにした可愛らしい15、6歳前後ほどの女の子だった。
「あの、さっきから何が何やら……この扉が急に現れたのって、この方の異能力だったりするんですか?」
驚き呆然としている赤羽さんや裕璃を横目に、誰も質問しないならと僕は訊いてみた。
「ああ、アリーシャの力さ」
「アリーシャって、この銀髪の子ですか?」
「そうです~。アリーシャ・アリシュエールと申しま……ふぁ~眠いですぅ……」
「アリス!」
と、アリーシャを見た途端、瑠奈がアリーシャに抱きついた。
へ? ありす?
「あ、豊花たちにはまだ言ってなかったね。瑠奈はアリーシャのことを言いにくいからって、アリスっていう愛称を付けて勝手に呼んでいるんだよ」
朱音が僕の違和感を察したのか、すぐに答えてくれた。
……ややこしい。アリーシャって、そこまで言いにくい名前じゃないような……。
「瑠奈は相変わらずですね~、ふぁ~むにゃむにゃ……皆早く入るです~」
「アリス、アリス!」
アリーシャが中に招き入れるのに従い、僕たちは部屋の中へと入った。
すぐ背後にあった玄関が、最後に入った赤羽さんのあとに消えて見えなくなってしまった。そこにあるのは、単なるクリーム色の壁のみ……。
それよりも驚いたのが、部屋の中はさながらごみ屋敷。コンビニのビニル袋や弁当の空き容器などが散乱しており、ベッド周りを除き、やたらと汚い汚部屋に相応しき様相を呈している。
ベッド周りだけ、やけに綺麗に片付いている。気分良く寝るためだろうか?
「改めまして、自己紹介します~。朱音さんの作り上げた世界とこちらの世界の番人を務めさせていただいています。元、第三皇姫のアリーシャ・アリシュエール∴ドリーミーです」
あ、アリーシャ・アリシュエール∴ドリーミー?
ん? アリシュエール?
何処かで訊いたような……。
そうだ。さっき言っていたアリシュエール王国もアリシュエールと付いているし、ルーナエアウラさんの複雑怪奇な名前にもアリシュエールと入っていた気がする。
瑠奈がやたらと親しげに「アリス、アリス」と呼ぶせいで、嫌でもありすを想起させる。
「……アリーシャは、寝るのが三度の飯より好きで、王子との政略結婚に嫌気が差したらしいから、ぼくがスカウトして、ここの拠点を守る役目を負ってもらっているんだ」とは朱音談。
つまり、瑠奈やルーナエアウラさんみたく、アリーシャも異世界人ってことだ。
なにやらいくらでも寝ていて良いのを条件に、ここの門番を買ってもらったという。
瑠奈に胸を触られようが布団に押し倒されようが、されるがままのアリーシャは、瑠奈を特別気にした様子もなく、抵抗する様も見せない。
「アリーシャと気軽に呼んでくださ……いふぁ~、眠いのです……」
どんだけ眠くて仕方ないんだこの子……。
背丈は瑠奈や僕よりも高いのに、何処か子どもっぽさが残るアリーシャに向かって、朱音が部屋を少し片付けながら言う。
「アリーシャ……来るたびにゴミ屋敷に戻っているの、何とかならない? 異世界に行くための魔法円がゴミで埋もれていて毎回面倒なんだけど?」
「このゴミは、そうですね~……あっちの世界よりも食べ物が美味しくて、ついつい買い物に出掛けてコンビニとやらから買ってくるんです」
「アリーシャがここにいないと部屋の内外出入りができなくなるんだから、滅多に外には出ないでほしい。というか、稀に出掛けるのはいいけど、それとゴミ屋敷になるのは無関係じゃないか」
「ゴミの出し方わからないのです~」
なるべくここにいてくれ、と朱音に説教されるアリーシャは、気にした様子もなく、「大丈夫です~、大抵は寝ていますから」と自信満々に言ってのけた。
なんだろう?
いまいち信用できない……。
そんな僕たちをよそに、朱音は部屋の中心辺りの掃除を始めていた。
僕や赤羽さんも、それにつづき、なにか奇妙な文字や図形が書かれた床周りの掃除を手伝う。裕璃は無言でそれを見つめている。まだ実感が湧かないのだろう。
瑠奈はーーアリーシャを布団に押し倒し、胸をやらしくさすさすしたりしており、掃除を手伝う気なんて見せていない。というか……。
「瑠奈ってさ……朱音さんが好きなんじゃなかったの?」
と、ついつい訊いてしまった。
だって、目の前に朱音がいるのに、そんな過激なスキンシップをアリーシャ相手にしていることが違和感でしかない。
しかし、瑠奈は鼻息を荒くしながら当然のように答えた。
「アリーシャも好きだからいいじゃん」
「うーん……二股……」あまり気分の良いものではない。「というか、アリーシャ……さんも、その、抵抗しなくていいの?」
胸やら下腹部を無抵抗で瑠奈に弄られつづけているアリーシャにも、つい訊いてしまう。
僕なら、いくら相手が美少女だとしても、ああも好き放題される気にはなれない。
「別に気にしません~。私からなにかしなくてはいけないわけではありませんし、好きに身体を弄られるだけですから楽なのです」さらにアリーシャはつづける。「それに、気持ちよくなることはあっても、気持ち悪くなることはないのです。気持ち良くなるだけならいいじゃないですか~。私は寝ているだけでいいと瑠奈に言われましたから~」
気にしないというアリーシャに疑問を抱く。が、本当にされるがままに体を弄られている。普段なにを瑠奈にされているんだか……。もはやこの程度慣れきっているかのようにされるがままだ。
僕と赤羽さん、そして朱音の三人でゴミを片付けていくと、床から魔法円のような紋章が現れた。
「さて、この魔法円の中に皆入ってよ。ここに入った物や人は、ぼくが異能力を発動することで異世界に行くことができるんだ」
これを使い、異世界にさまざまな覚醒剤の密造に必要な道具なども送ったーーと朱音は追述する。
「さあ、瑠奈。これが最後の異世界探訪になるんだから、こっちに瑠奈も来てくれ」
と、瑠奈も異世界に連れていこうとする朱音だったが……。
「嫌だ。ルーナエアウラなんかと会いたくないもん。どうせわたしはルーナエアウラの絞りカスですよーだ」瑠奈は拗ねてるかのように、アリーシャの上に股がりながらつづけた。「ここでアリスとにゃんにゃんしてる。あっち行きたくない。どうせアイツが帰ってきたから、皆わたしを偽物だと気づいてるだろうし」
「だからって、今までお世話になった人たちに謝ったりしないの?」
「……わたしには、あっちの世界で繋がりがほしい人はもういない。アリスさえいればいい」
「だったら沙鳥さんがこっちに来させた意味がなくなるじゃないか……」
「わたしはアリスに会いたかっただけだもん」
だからあんなにウキウキだったのか……。
うおお……徐々にアリーシャへのスキンシップが激しくなっていく。瑠奈にスカートをたくしあげられても、アリーシャは相変わらず眠気眼でされるがままだ。
瑠奈がわがままを言ったことで、仕方なく瑠奈は連れていかないことになった。
朱音は納得いかないようだが、いくら言ってもアリーシャから離れずベタベタしていることもあり、しょうがないなぁ……と最終的には朱音もそれを承諾した。
結局、赤羽さん、裕璃、朱音、そして僕で異世界に行くことになる。
「護衛役の意味もあったんだけど、まあ、向こうではルーナエアウラの部屋に転移先があるから、ルーナエアウラに向こうでの護衛は任せることにするよ」
みんなで魔法円の中に入る。
というか、護衛が必要なのだろうか?
どんな異世界なのか非常に気になる。普通の歴史ある世界ではなく、朱音が焦って作り上げた仮初めの世界ーー。
「くれぐれも、ぼくらが向こうに行っているあいだにゴミを散らかさないこと」下着姿になったアリーシャに朱音は忠告する。「向こうについたら、ちょっとした案内のあとで、まだ動けないだろう裕璃をルーナエアウラの一室で休ませたら、すぐにぼくたちは戻ってくるよ」
「……豊花とは、それでお別れなの?」
裕璃は震える口を開き、朱音に問う。
それはそうだろう。怖いのは当たり前だ。
学生を殺害し、それで捕まり実験動物かのようにさせられ、ようやくその生活から抜け出したかと思えば、今度はもうほとんど僕たちに会えない異世界で暮らせと言われ実行するのだ。
不安がるなというほうが無理のあることかもしれない。
「安心しなよ。一生会えないわけじゃないんだ。ただ、きみはもう学校には通えないし、こっちにいても苦しい生活が待つだけ。それに比べると、あっちの世界できみの罪は帳消しにされる。ほとぼりが覚めたらたまにならこちらに遊びに来てもいい」
「……」
朱音の説得に、腑に落ちない表情をしながらも、渋々といった様子で裕璃は頷いた。
「じゃあ、みんな行くよ?」
とたんに、謎で奇妙な感覚に囚われた。
冷気と熱気が混ざりあった独特な空気が体内を満たすような気持ちの悪い感覚……。
僕はポケットに入れた必要道具ーーセルシンのアンプルとやらを握りながら、それをただただ耐える。
まるで船酔いのような気持ち悪さを覚えながら、僕たちの視界は真っ暗に染まった。
そして、僕たちは朱音が作り出したという異世界へと転移したのであった。
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