第1章

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 深い悲しみによって精神的なダメージを負ったとき、人の多くは思考が停止する。これは未来職人が新たに未来を紡ぐために改編作業をおこなっている期間でもある。広義に言えば傷を治しているのだ。  特に幼少期に受ける傷は未来に大きく影響する。一方大人というのは未来が先まで紡ぎ終えられていることが多く、精神力の消費を厭わずにある程度の未来を走り抜けた後でようやく呆然とできるのである。  未来職人というのは、未来に起こることを操作するものではない。これから起こることは神のみぞ知る、根本的には誰も知りえないことである。未来職人が紡いでいるのは、命の色であり、思考の道筋である。人格とも呼べるだろう。試練や挫折、理不尽と直面したとき、人は気持ち一つで運命を複雑かつ繊細に変えることができる。一瞬一瞬の感情の移ろいは名のない色で染められている。それらを使用し、今後の人生において人がどのような心持でデザインしていくのかを導くために未来職人たちは存在する。  ノゾムはゆっくりゆっくり時間をかけ、心の傷を治癒させていった。小学校に上がるころには元の笑顔を取り戻していた。祖父母が健在のときすでに購入していたランドセルを背負った。祖父母の心は六年間ノゾムと共にあったのだ。  未来職人自身の生命エネルギーは担当した人間とイコールではない。寿命は100歳と決められているが、動力は担当した人間の生命力と精神力に準ずる。人間と異なり年に一歳歳をとるわけではなく、人生の濃度によって100から引かれていく。例えば、新生児のころは生命力・精神力を本人の意思で使用することが少ない。このとき利用される未来職人は親のほうである。つまり、自分の思考・行動を伴って生活するようになるまでは未来職人は少ない動力で最低限の未来を紡いでいるということになる。  ノゾムの祖父母が有した未来職人は、100を適切な分量で使い続け、天寿を全うしたのだった。絶頂には時が追い付かないほどの未来を紡ぎ、余生は無駄なものは削ぎ落としてつつましく生活させた。使い残した糸もなく、立派な作品として子孫の心を包みこむ人生の在り方であった。  
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