太陽の下と沢山の『 』

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太陽の下と沢山の『 』

 津波や地震が起こらないように海や山に向かって祈った。  お供え物や生贄を差しだしどこかの部族のように太陽を待った。  太陽が昇って来ると剣をかざし、その輝きを確かめた。  平和は保たれたかのように思えた。  彼女の正体。  それは豈図らんや角のない悪魔。  怒りに燃えると牙をむき出し火を吹く大怪獣、それが「カミ」だ。  まったくもって仕方がないので「ちゃん」という足枷を目を盗み装着させ、剣で悪魔の黒い羽を根元から切り落とし魔力を封じ込めた。  だが悪夢はそんなことでは終わらなかった。  動きを封じ込まれたカミちゃんは、言葉を磨きはじめた。  それはそれは犀利な嘴で呪詛を吐き出す装置となった。  悪魔は時より優しさをうまく武器にして、僕ちゃんを悩ませた。  『奇妙な慈しみ』  カミちゃんの言葉は妖しい光となって降り注いだ。    「もしあなたが誰かを殺してしまって、その殺人の正当性を私に説明してくれて、私をちゃんと納得させてくれたら、それはそれでそのことは仕方がないことにして、その死体をここに埋めさせてあげる。どんな死体でも、誰の死体でも、そのことはちゃんと一生秘密にしてあげる。ちゃんと私が墓に入るまで。私が。秘密に。ちゃんと・・・・」。  カミちゃんは優しく暴走し、口からサラサラと密約の言葉が流れ出した。  僕ちゃんの無意識の中にその言葉たちは潜り込み、防衛本能が働き背筋がゾクッとした。  カミちゃんは僕ちゃんの目の前に形のない、とある「許し」のようなものを置いた。  その時ばかりは自発的にこちらから耳鳴りでも探して、そちらに気をつられたかったが、聞いてないふりもできず、そんな言葉はきっちりと海馬に差し込まれ、必要な記憶に分類された。  それは「守ってあげる」という幸福の言葉、それと同時に災難が必ず降りかかる呪いの言葉だった。  カミちゃんは禍福を操った。  まだ誰も殺していないのに、埋める場所の約束だけが躱された。  「もちろん誰も殺すつもりなんてない」殺す予定もない・・、のにだ。  「私のこと、殺したいよね?」  この、何のつもりなのかわからない呪いの言葉に、どれだけの生きていくためのエネルギーを吸い取られたのだろうか? そしてカミちゃんは「冗談よ」とも付け足さない。背筋が弛緩し、俯きゲンナリした。僕ちゃんは死んでしまった木のように黙り込んだ。  麻縄のような木の枝が、日に照らされてニュルニュルと伸び、トグロを巻いてカミちゃんの首を目の前でゆっくり締めていく。ズルズルと引き上げられ、リカちゃん人形のように、一切表情を変えず、木のてっぺんに釣られるカミちゃんは、燦々と輝く太陽の下で、とても美しく、蠱惑的だった。    「こ ろ し た い よ ね」リカちゃん人形は口をパクパクさせた。    少し汗ばんだせいか疲れも手伝って、僕ちゃんの口が滑り始めた。  「勝手に死んでばっど」  「ん? なんなの、それ」  「散々オールスターズ」  「もしや、喧嘩売ってる?」  「1000円で」  「はぁあ?」  「はぁ、消費税は別」  「チッ!」  それはいつのことだったか、長野県の何処かで、多分塩尻ら辺で、もう場所も忘れてしまって、二度と行くこともないし、行き方もよく覚えていないけれど、国道19号線からそれてすぐで、どこかの畦道から山道へ入る。たとえるならイギリスのストーンヘンジみたいに、円く囲ったような「場」だった。  現実、その円は石ではなく、樹々が高々と聳え立ち、円く囲っている「空間」だった。  そこだけ時が止まっているようで、何か時空の重なり合う、細かい揺らぎみたいなものだけは感じる、奇妙な「隙間」であり「空虚」だった。  何故だかは知らないけど、この地域は未だ土葬が許されているらしく、「円」の足許にはカミちゃんの親戚やら親族やら、将又飼っていた犬猫などが、重なりあって埋まっているとのことだった。茶色く枯れた針葉がパラパラと幾重にも重なり合い、木漏れ日のおかげか、地面は温い色味になっていた。  カミちゃんは知ってのことなのか、確実にその時々に読んでいる小説やら、レンタルしてきた海外ドラマDVDに、シッカリ影響を受けている。小説はミステリーや怪奇なものが多く、海外ドラマはアメリカのサイコなものが多い。そして「アメリカ」という言葉を巧みに使ってアメリカ人の僕ちゃんの前妻を悪く言う芸当も持っていた。  この時、絶対に前妻の悪口を言っているとは言わない。完璧に匂わしてくるだけなのだ。    「アメリカ人てすぐドラッグやるよね、アメリカ人って性に対してなんであんなに奔放なのかしら? みんなやりまん? やりまんよね? アメリカ人て戦争好きでしょう? アメリカ人てすぐ人殺すよね、銃あるし、男でも女でも、アメリカ人てそもそも原爆落とすしね、アメリカ人て実際ブスが多いよねデブだし。すぐ盗むし。アメリカ人て・・・」。    やめろ! 切れ長く目だけで訴える。「じっ」と。    それでも僕ちゃんの顔色を伺いながら、執拗にアメリカを非難する「アメリカ人ってさぁ・・」。  少しでもリアクションすると嬉しそうだが、気を緩めなければ、やり過ごせる。だが、つい「僕ちゃんはベンジャミン・フランクリンと同じ誕生日なんだよね、わかる? これがどう言うことか?」とまた口を滑らせた。  「で?」という力の抜けたカウンターパンチ一発で、またリングのコーナーまで僕ちゃんを吹っ飛ばす。カミちゃんはいつも僕ちゃんにまつわる悪口や嫌味をくちごたえできないように完璧に言う準備をしている。謎の「怒り」を絶対に手放さない。  カミちゃんは僕ちゃんの「P」ブログも隈無くチェックしている。  だからプロデュースしているアイドルの悪口を間接的に言うのは、日常茶飯事だ。たとえ仕事のことでも、若い女の子を褒めれば褒めるほど、カミちゃんは劣等感という刀を凄艶に研いでくる。反論の一つでも言えば、待ってましたと声を荒げ憤慨し目をむき出しにし「それは意見じゃん! 意見ぐらい言わせてよ! 私にもそれくらいの権利は当たり前のものとしてあるでしょう? 自分の意見も言えないなんておかしい! 一生黙ってろって言うの?! お前は王様か? 法律か?」決して自分は悪口を言っているわけではないと黙らない。狡猾で秀麗な戦術だ。「はぁ・・・」と、その都度傷つきテンションは下がるが、それはそれで彼女の狙いどうりなので必ず無視をして、動じていない振りをする。  カミちゃんは人を傷つけることが後々自分にどんな影響をもたらすのか、彼女は想像できない。傷つけてるつもりもさらさら「ない」いや「ある」はずだ。鋼鉄のような劣等感の塊。彼女は自分だけ気が済めばよく、不満を止め処なく吐露する。その後、人を悪く言った分だけ、人からどう思われているかを気にしすぎてしまう。過度な自意識過剰の末、その念が積もり積もって彼女に劣等感と言う、残念極まりない気持ちをもたらし、その「呪い」はカミちゃんの心の底に沈殿して、砂鉄混じりの汚泥となる。最悪、生霊になって僕ちゃんの身辺をうろつかれたら困るので、呪縛を解くために頭を振り絞り、そして行動する。    『嵐を鎮めるための儀式的行為』    僕ちゃんは時折、彼女をボーリングに誘ったり、カラオケに誘ったり、ゲーセンでUFOキャッチャーをしてみたり、ドライブを楽しんだり、なるべく美味しい毒の入っていない夕食に出かけたりした。  「何を食しますか?」と聞くと決まって「なんでもよい」と答えるので、「イタリアンもしくは中華なんてどうでしょうか?」かと提案すると、もう一度「なんでもよい」と答えが返ってくる。  それは当然「なんでもよくない」ということで、それをなんとなく察知し「しゃあない」ちょい高めの回転寿司に行って落ち着かせ二人合わせて30皿以内に収める。回らない寿司なんて夢物語だ。  ショッピングモールの中にあるペットショップで、白くて小さな浮き沈みする得体の知れない熱帯魚を食い入るように目で追いかけ回し「かぁあいい、かぁあいい~」と鼻にかかった声で連呼し観ていたので、今度の誕生日兼クリスマスプレゼントに進呈しようと秘密裏に計画したりもした。  「予算を組まねば」  「なんか言った?」  「なんも」  「なに? なんか言ったでしょう?」    僕ちゃんは「世界が平和でありますように」静かに手を合わせ、祈る。  「喧嘩売ってんの」  「でたよ」。  だがしかし、実際のところは、生活も身体的にも何もかも高ストレスで、心の余裕は全くもってなく、緊張が続いてる毎日だった。  問題は溜まりに溜まった未払いや借金だ。  店舗の家賃と改装費の借入金、事務所の家賃、アパートの家賃、去っていった従業員の給料の未払い、レコーディングスタジオ経費、大箱イベントの赤字が3本分、水道光熱費を含むその他諸々の諸経費それら全てからプレッシャーの電話が怒号する。「なんで、こんなことになっちまったんだ?」と踏ん張るが、なぜか問題は一向に解決できなかった。抱える頭はどんどん禿げる。当然ストレスは家庭にもたまり、カミちゃんとの間に軋轢が生じていた。というか、そもそもあった傷が自然治癒せず膿を吐き出すように爆発した。  「食費が足らんぞよ」  「あいすいません」手を合わせ祈る。  ある眠れない夜に、どこかへ飛び出したくなるような衝動が襲ってきた。  どうしても勝たないといけない時があると自分を鼓舞し、それをパワーに、寝ているカミちゃんを横目に家を飛び出した。事務所に戻り、今進めてる作曲作業や諸々の仕事を進めてしまおうとした。少しでも安心感を捻出するために、西へ向かった。その興奮とともにもちろんUFOは現れる。  「眠れないなら寝なければいいんだ。そうだ働こう!」    やれそれ、きっと今は戦後間もない昭和で、日本中が労働と納税に目を輝かせてたアレだ「僕ちゃんの高度成長期だ!」ピンチはチャンスってやつだと自分に言いきかせた。  吉野家を通り過ぎ、キラキラ星ヶ丘の看板を横目に舌打ち「バカじゃね!」と唾を吐き飛ばす。三越を通り越し「僕ちゃーん」と、みのりんの声にも笑顔で答えて、やはりここは我慢の子で、バー・ラックスには立ち寄らない。  千種図書館に警察が2人見え隠れしていて、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らしてあった。「ん? 事件?」耳鳴りが大きくなった。  それとなく近づいていって、警官にことの真相を尋ねようとしたその時に携帯のバイブが鳴り続いていたのに気がついた。  「うわぁ、しまった」。  ディスプレイにはカミちゃんから秒刻みの着信が履歴に残っていた。  目を白黒させていると、また鳴り始め、出てみると、iPhone4のスピーカーとディスプレイからカミちゃんの顔が飛び出してきて、すごい剣幕で怒鳴り散らされた。  「こんな夜中にどこいくのじゃ」ホラーだ。  まったくもってホラーだ。  「いや、眠れないし、仕事しよかなって思って」  「女だろ」ゲンナリ。  「なんでそうなるんだよ、仕事だっていってるじゃん」(女います。でも、今日じゃない)。  「ずっと電話無視してたでしょう!」  「早足で歩いてたしポケット中にしまってたせいか気がつかんかった」(それは本当)。  「嘘だね! 無視だね! 浮気だね!」と罵声という蛆虫の大群がiPhone4からぶくぶくにじみ膿のように湧いて出てきた。  手のひらから指の間を抜けてボロボロと落ちる蛆虫たち、身体が一気に冷たくなり、沢山の文字にならない感情が空から針のように降ってきて、僕ちゃんを穴だらけにした。血まるけの蛆虫は肉をむさぼり食った。  「大量のカエルが空から降って終わるあの映画なんだっけ?」脳裏を横切る。  そして、4歳の頃、誕生日に買ってもらったばかりのローラースルーゴーゴーが、近所の子供達に寄ってたかって叩き壊されていくのを震えながら、側で見ているだけのおかっぱボブの僕ちゃん。そんなフラッシュバック。    『悪魔を退治するならきっと今日』    「あら、おかえり、僕ちゃん」兎にも角にも僕ちゃんは帰宅した。  涼しげな顔で台所の前に立ち、あしを「く」の字に曲げて、あごを挑戦的につきだしていた。  カミちゃんの長い睫毛がスローモーションではためく。やれるもんならやってみろと、手招いているみたいだ。  僕ちゃんはモハメド・アリと同じ誕生日だ。蝶のように舞、蜂のように刺してやるさ、多分ね。  「な、なぁ、だ、ダメなんじゃないのか?」ビビってなんかないビビってなんか。  「ダメって何がよ?」カミちゃんはコップ一杯の水道水を一気に飲み干しシャンパンのコルクを抜いた時のような音のげっぷをした。  「人のやる気、人のやる気だよ! 削いじゃダメだろ! やる気を!」蜂のようにさす。ふんにゃりと。  コップを流しの中にトンと置きながら、「なに? あんたがやる気出したらなんだって言うのよ」蜂の針は簡単に折れる。  カミちゃんは腰に手を当て、顔を空間からむき出した。そして無言でこう訴える。    『今から言うことをよく聞きなさい、あなたをコテンパンにぶっ殺して、あの世に運んでやる。鷲掴みにしてこの夜の大空、黒い翼を羽ばたかせて飛ぶのよ、そして針の山に振り下ろし叩きつけてやる!』と表情から完全に読み取れた。というかそもそも顔に書いてあった。  耳なし与一かよ、僕ちゃんは目を細めた。景色がぼやけまったく違った別の視点が現れる。  カミちゃんには、もぎ取ったはずの黒い羽が再生し、ハゲタカの群れを引き連れて、磔になった僕ちゃんの上空を旋回しはじめた。ハゲタカたちは僕ちゃんが死体になるのを今か今かと待っている。そして幻影の廃墟に佇む教会はチャペルというゴングを鳴らした。灰色の空に響き渡る硬い鐘の音だった。  カミちゃんは完全に舐めた口調で、こう言い放った。    「す ぐ る さ ん」。    交わした約束の一つが破られた。  絶対ダメなやつだ。  世界は反転しカミちゃんと僕ちゃん二人きりの、魔空空間になった。  それは完全なる静けさ、例えるなら「真空」だった。  心臓が止まりそうだ。  怒りで意識が朦朧としたが、僕ちゃんは震える声で憤慨した。  喉がカラカラで声はカサカサにかすれる。  怒りがメントスコーラのように溢れる。  「あ! おい!! ダメだろ! 一番言っちゃダメなやつだろ、それは! 誰も知らないのに」カミちゃんはもうとまるつもりはない。  「なに言ってんの? あんたすぐるさんじゃない、多田野す、ぐ、る、さん」  「知ってるだろ、その名前は遠い昔に捨てたって、一番嫌いな『もの』だって、知ってるだろ!」僕ちゃんは『怒り』という暴れ馬にまたがって、約束をきちっと破ったカミちゃんを指差す。だが、その指を無視してさらにこちらに顔を突き出し「うるさい! この役立たず! あんたはなにもできやしない『ただのすぐる』なのよ!」  「なん、なんだと?!」少したじろいでみせたが、こいつを殺せるのは僕ちゃんだけだど、唾をのみこんだ。  部屋は黒い霧で満タンだ。  重油のプールだ。  「くやしいの? こんな言われ方して、どうなの?」カミちゃんが、こんな挑発の仕方をするのは初めてだ。何か裏があるはずだが、この時は何もわからなかった。そしてまんまとこう言わされていた。  「おまえ、殺されたいのか?」僕ちゃんは針の折れた蜂だ。だが、実は罠にかかっていたことに気がついていない。張り巡らされた蜘蛛の巣に。  「あん? あんたに殺せるの? この私を。そうよね、確かに埋める場所は教えたものね。やりなさいよ、やりなはれ、ほら、やりなはれ、フフフフ」目をカッと見開いて「すぐるさんよ! 巨人ファンの鹿児島のお爺ちゃんに感謝しな! 江川卓ファンのじぃちゃんに!」  天地はひっくりかえり、怒りがリビングに充満した。  重油に引火したら最後、消火は難しい。  「うるさい! 野球が嫌いなんだよ! 子供の頃から!」と僕ちゃんは言い放ち、それを見たカミちゃんは包丁をサッと取り出した。  「おかっぱボブちゃん」と罵り両手で、ところどころ錆びた、どこにしまってあったのかわからない包丁をもち出した。  まるで墓から這い出てきた妖刀村雨だ。  そしてその妖刀村雨をキャミソールの裾からゆっくり中に入れた。  その包丁はカミちゃんの身体の中から、悪魔の子がツノで胸を突き破って生まれてくるようにキャミソールを盛り上げピリピリと切り裂いた。  キャミソールは真ん中で破れそこには大きな胸がたわわに現れた。  「なんの儀式だよ?! やるのかよ!」  「ふん!」  急に落ち着きという落ち着きを、すべて取り戻したように、包丁の柄を僕ちゃんに差し出した。僕ちゃんが包丁を奪い取ろうとした瞬間少しでも手が触れるのを嫌がるかようにカミちゃんは手を離した。僕ちゃんは包丁を取り損ね、落ちて床に突き刺さった。  僕ちゃんの目線は足元の包丁にあったが、カミちゃんの目線は僕ちゃんの禿げてむきでた頭皮にあった。  振り払いたい視線に目を合わすと「やりなさいよ、心臓に向かって両手でやるのよ、壁をまな板みたいにつかって、あんたなんかにこのカミの助骨が突き抜けるとおもって?」かなり練習したセリフとみた。  僕ちゃんは「んだよ、やるよ、やってやるよ」床に刺さった妖刀村雨を抜き取り「切り裂いてやるよ、心臓をえぐり出してさ、この手にとってやるよ、ぶっ潰してやるよ!」  カミちゃんは目を細めて、少しニヤついた表情に変わった。  そして、このうえなく静かな声でささやいた。  嬉しいニュースのように風にのって遠くから聞こえてくるようだった。  「あたしの血を飲みなさい。フフフフ」  何故だ何故この女は笑っているんだ。 「あははは!」夜に木霊した甲高い笑い声が、廃墟をまわりまわって聞こえてきた。  「この未熟者めが! 江川じゃない方!」  「だまれ!」僕ちゃんは包丁を左手で持ち右手を下に添え、構えた。  ブツブツブツブツブツブツブツブツ確実に殺すためには「助骨の下あたり、内臓を? かきまわす。助骨の下あたり、内臓を? かきまわす。助骨の・・・」窓の外は月が綺麗で、なんとなく二つか三つあったような気がした。  「なにブツブツ言ってんのよ! やりなさいよただのすぐる!」    小学生の頃の教室、先生に当てられ、緊張して何も答えることができない、おかっぱボブの僕ちゃんは、江川じゃない方、ただのすぐるだった。  「先生わかぁりません」脳裏に悲しく響いた。  教室ごともしかしたら学校ごと、無力な僕ちゃんを笑っていた。  できないほうのすぐるちゃんだった。  目頭を少しぬぐうと寝室の襖が静かに開いたのが、見えた。  すると眠っていたオコちゃんが僕ちゃんと同じように目頭をぬぐいながら起きてきた。  そして、小さな闖入者は話し始めた。  「ねぇんね! オコちゃん幼稚園にティッシュの忘れ物したから今から取りにイクゥ、それでね! それでね! 今日ねぇ、お歌が上手ってセンセに言われたんだヨォ、だからね粘土でハンバーグ作ってみんなでちょっとだけ食べてみた。まずかった。アメリカはダメよね。レディーガガは大体マドンナに似てるよね」。    僕ちゃんは悲しくなりついつい泣き出したが涙が出たから悲しく感じているだけかもしれない、そんな気もしないでもなかった。  そしてこれが引き金となって、僕ちゃんの脳はまた過去を引っ張り出す。  父親と母親が真夜中に大声で喧嘩していた時のフラッシュバック。  4歳の僕ちゃんは土下座をして「ごめんなさい、僕がいけないんです。生まれてすいません死にます」その姿を見た母親が「なんで謝るの!」と、怒鳴っていた。なぜ怒鳴られなきゃいけないのか? その頃のすぐる少年には謎だった。  あやまっているのに。  過去は何もできない、ただ過ぎたことだ。  『。』    僕ちゃんは包丁を不揃いの皿や茶碗をよけて流しの底におき、部屋を出た。    カミちゃんは「逃げるのか!」と言い放った。  オコちゃんはそれを見届けると布団に戻って寝てしまった。  僕ちゃんは大きな声で歌を歌い始めた。  オコちゃんは起きることはなかった。  きっとすやすや眠っていたはずだ。  僕ちゃんはオペラ歌手みたいにビブラートを派手めに声を張って歌った。  新幹線で品川駅についた気分で。    いい日旅立ち/山口百恵    かかとが踏まれたトリコロールのナイキはボロボロだ。  もうスニーカーを買う金はない。  ゆっくりドアーを開けて外に出た。  僕ちゃんは「怒り」を蹴飛ばし勝った。  カミちゃんの肉声を聞いたのはこの日で最後になった。    残念ながらオコちゃんの声も。大好きなオコちゃん。  涙をぬぐって、月が一つしかないことを確認した。iPhone4を取り出しピーマンに電話をかけた。    「ピーマン、どうだ?」声が震えないように聞いてみた。  「どうもこうもないので店閉めるところです」僕ちゃんの異変には誰よりも敏感だ。いつも気を使ってくれている。    「ピーマン・・・」  「いいすよ、ラックスですか?」  「そうだな・・」  「向かいまーす」  「よろぉ」    ピーマンと僕ちゃんは、ほぼ同時にバー・ラックスの前につき、ほぼ同時にドアをくぐろうとして、余った肉をぶつけ合いながら店内に入った。  そんなたわいもないじゃれ合いが、気分をおだやかにさせた。  「みのりん、お邪魔しま!」目が赤かったと思う。  多分みのりんもそんな異変に気がつくやつだ。みのりんは上をいく元気な声で「お! 僕ちゃんおかえりさない! お、めずらしぃ、ピーマンさんも一緒ですね、お元気ですか」優しさがどんどん伝わってきた。  「ええシーザーサラダ山盛り食います。よろしくです。もう」。  ピーマンはもう、盛り上げるつもりだ。痛く気持ちが伝わってくる。それに甘え僕ちゃんは毒を吐く「共食いだな、ハイネケン二つちょうだい、みのりんもどう?」ポケットに大金が入っているわけもないが、僕ちゃんは当然全財産使うつもりだ。  「お! いいんですかぁ」  「じゃあ三つ」フレミングの右手を作って見せた。  「じゃあ遠慮なく」みのりんはやはり優しい象だ。  「珍しくお客いないんですね」僕ちゃんはピーマンを見て「お前はもうちょっと言葉を選べ」と指さした。  「うわわすいません、もう」。  慌てふためくピーマンを見ながらみのりんはにこやかにしていた。  「いいんですよ、そんな日もありますよ」  その言葉に安穏を覚え僕ちゃんは正直になる。  「ラックスには申し訳ないが、なんとなくありがたいな」と口角を上げた。  「乾杯しますか!」大男3人で過ごす真夜中もいいものだ。  「みのりん、あれだあれかけて」  「あれ?」ピーマンはない首をひねった。  「あれだな」僕ちゃんはニヤついていた。  「あれですか?」みのりんはCDラックを見て太い指先を泳がせていた。  「あった?」僕ちゃんは目を輝かせ少し若くなった。  「ありました!」みのりんはわかっていた。  「あ~! なるほどね」ピーマンも察しがついたところで、みんなで合唱。    4 Non Blondes/What's Up    「ヘーイイェーイイェーイェッヘイ」僕ちゃんは得意のファルセットで歌い始めた。  「いいっすね~」みのりんは僕ちゃんを持ち上げる。  「アセッヘイ!」割り込み上手なピーマン。  「ワッツゴーインノン!」ハエが飛ぶように音を外しながらみのりんも合わせた。  「どうなってんの?!ガハハハ」。   結果、東山から日が登るまで3人でこの曲とたくさんの音楽を肴に呑んだ。  人生とは不思議なもので嫌いな言葉が急遽必要になることもある。  『NO MUSIC NO LIFE』僕ちゃんはこの言葉が真っ向から嫌いだった。だがしかし。   PrimalScream/Rocks    この曲で最後をキメた。    暗いバーから出ると日差しは目を突き刺す。もう、このまま死んでもいい。毎度毎度そんな気分だ。酒のせいか頭にリピートするのはWhat's Upのメロディーだった。それもみのりんの声の「Waht's goin' on〜」  『田中やすえ』    「どうなってんの? これは? ゴミの屋敷? いやぁ、ゴミアパートですね、あぁ、ビニール袋がこんなに溜まってる。カビ? いやぁ汚い! まぁ」田中やすえはスーツ姿で現れた。初めてのご対面だが、電話で話すよりもずっと優しそうだ。もちろん見た目だけの話だ。  「もの捨てないんですよ、あの人」とカミちゃんをすでにあの人呼ばわりしている自分がいた。  「これはね、家賃滞納者に共通して言えるんですけどね。まぁ、あなただけの話じゃなくてね。ビニール袋ね、特にこれ、これが溜まるんですよ、スーパーのビニール袋を捨てなくなったらこれ前兆です。そのお部屋はごみ収集を始めます。どんどんどんどん亡霊のように集まってくるのよ、どこからともなく」田中やすえはどことなく嬉しそうだ。なんで嬉しそうなのかはわからない。こんな仕事についているんだきっと変なこだわりがあるんだろう。  綺麗なおでこに明るい茶色に染まった髪の毛をしていて、スーツの似合う白人女性にものすごく憧れを抱いているような、そんな気がした。  田中やすえはハンカチで鼻の下あたりを押さえながら声がどんどん高くなっていく、たまにひっくり返りそうになるくらい「あ、やっぱり、そうそう、ダンボール、そう。これが捨てれないのよね、滞納者は。こうやって冷蔵庫と壁の隙間にどんどん溜まっていくの。ダンボール、ティッシュの空き箱まであるわね。暖炉に薪をくべるみたいだわ。多分だけど、掃除機の紙パック、ゴミでいっぱいなんじゃない?」  「ええ、きっとそうですよ。おさっしのとおりです」さっさと終わらせたいので、こいつの話はもう聞き流そうと固い決心をした。  「で、田中さん、ゴミ片付けの業者はまだですか?」田中やすえは換気扇の黒く溜まった汚れを眉をひそめてみながら、体の太さのわりに細い首をふって、ファンの隙間から見える外の景色を訝しげにみていた。  「あら、ここから交差点の信号が、信号が見えるのね。あ、そろそろ来ると思うんですけどねぇ」とそのまま振り返って風呂場にかけてスリッパをパタパタと入っていくと「あぁやっぱり!」と叫んだ。コンクリートの綺麗なエコーだ。  「カビてますよ、風呂の壁、どんなけ洗ってもキリないんですよ、ここの風呂」と先回りして答えたつもりだったが、どうやら違うようだ。  風呂場から出て来ると、埃っぽい洞穴からでも戻ってきたかのようにハンカチで口を押さえ出てきた。  喉に突っかかる唾液を飲み込みながら「タイル、タイルにね、ピンクの丸が混ざってないのよ~、そうそうそう。全体的に青と黒と白でしょう? 藍色って言うのかしら? ここにピンクが混ざっているお風呂は大抵綺麗にしてて、お部屋もちゃんとしてるご家庭が多いのよ~」と、どうしても何かを僕ちゃんに聞いて欲しそうだ。  「田中さん、FBIに憧れてるでしょう?」  「あら? なんで私が、羊たちの沈黙が大好きだって、わかったの?」  「いや、そこまでは?」  ガチャっとリビングのドアがおもむろに開いた。  僕ちゃんはホッと胸をなでおろした。  ベージュの帽子をかぶった誰もが想像できる程度の人の良さそうなおじさんがドアをくぐって入ってきた。  「どうもです。うわ、ひでーなこりゃ、あ、田中さんお久しぶりです。今日はよろしくお願いします」田中様様と入った雰囲気だが、娘と父親くらいの年の差はある。  「あら、どうも、さっさとやっちゃってもらっていいかしら?」あもすも言わずだ。  「かしこまりました~。おい! 大仕事だ!」と業者は子分に指令を出した。田中やすえはゴミ回収業者が来た途端、態度を急変させ、鋭い眼光を放っていた。業者は手際よく作業に取り掛かった。何かしら癒着を感じるが、そんなことはどうでもよかった。  「さて、あなたはここにサインするだけよ、よろしくお願い、あとは私に任せて、帰っていただいても結構です。帰るところがあればだけど」最後の最後に本当に嫌なやつだ。できるだけ苦しんで死んでくれ。  「それじゃあお言葉に甘えて、ありがとうございました」。   田中やすえは後ろ向きで手を振った。  ゴミ回収業者は埃を被って錆びた弦のエレキギター達も、卒業アルバムや読書感想文コンクールの賞状も、使えた記憶のないステレオも、満タンになって何も吸えない掃除機も何の柄だかわからない子供じみたカーテンや絨毯も、不揃いの皿や茶碗、冷蔵庫、テレビデオ、洗濯機、何もかも回収していった。    僕ちゃんは家族らしきものを捨てた。  オコちゃんは「父ちゃん!」とは呼んでくれてはいた。そして記憶の片隅に追いやって、鍵をかけた。    Ordinary World/Duran Duran    そう言えばオコちゃんの母親は「普通の家族が欲しいの」と言っていた。  「無理だろ、そもそもお前が普通じゃねぇし、だいたい普通の家族ってなんだ? 知らねぇし、経験ねぇし、うちの両親宗教家だし、勧誘しすぎだし、普通じゃねぇし、それが理由でよくいじめられたし」。  理想とはいうのは懐かしいという手触りの中にあるはずなのだが、僕ちゃんにはそうではなかった。懐かしさが少しでもよぎるとどうしても大声をあげてしまう。「あぁ!」と叫んで打ち消すようにしている。その場をやり過ごす。過去なんて忘れたいことばかりだ。  「そういやカミちゃんからもらったんだっけ?」  トリコロールカラーのナイキのスニーカーはそのまま玄関に置き去りにした。僕ちゃんは靴箱の奥に死んでいたビーチサンダルを履いた。  今年の秋は足元からやってきた。  するとイヤフォンの中で音楽がフェードアウトしまどろんだ。  電話の着信だった。  リンカの声だ「今日、そっち行くね」。  普通の言葉。  そういうことか。
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