ただのの夢だよ

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ただのの夢だよ

 もし死んでしまうようなことがあるのなら、こんふうに死ねたらいいと思う。  遠くの高層ビルから命中率の高いライフルで、よく訓練された特殊部隊のスナイパーに眉間をスパッと撃ち抜かれ、瞬殺されたい。  走馬灯もまるで追いつかないくらいの、一瞬で。  そして、愛もなく痛みもなく、暗闇の中、今まで聴いたこともない信じられないくらいの綺麗な音楽に包まれ、あの頃のままの初恋の人にでも合うように、あの世に行きたい。  そりゃもちろん、あの世があればだけど・・・。  2012年39歳の誕生日、死と再生を信じて、手術のために入院をした。 「サンキュー!」  丁寧に髭を剃り、もちろんのこと、頭もウォールピーナッツのバリカンで1ミリまできれいに刈った。  白髪が目立たなくなり、いくらか若返ったみたいだ。  でも2~3歳程度かな?   ほうれい線はウォールピーナッツでも削ることができない。  「やっぱり太りすぎたなぁ。昔はウマヅラって馬鹿にされるくらいの細い顔だったのに、これじゃあな」ブタヅラだ。  僕ちゃんは生まれ変わるのだ。  手術時間は10時間ほどかかる。  もしかしたらもっとだ。  でも、たっだそれだけのことで左脳に沢山の血流が戻ってくる。  当然、血流ウェルカムだ。  砂漠地帯に雨を降らす、もしくは井戸を掘るよりはいくらか楽だろう。  突然話は変わるが、もし、好きな言葉は? と聞かれたら「1月17日」と答えるくらい、実は誕生日を言葉として気に入っていた。  僕ちゃんの18歳の誕生日に湾岸戦争が起こった。  同じ日に初めての恋も実った。  とても可愛い女の子で、学校で一番と言っても過言ではなかった。  きっと男子たちから一斉射撃をうけるくらいの告白の量だったと思う。  その彼女が僕ちゃんを選んだ。  でもその恋も湾岸戦争と同じようにすぐに終わった。  いい思い出もきっとあったと思うのだが何も覚えてない。  はて、なぜだろう?  彼女の柔らかい笑顔だけが雲みたいにうっすらと空に浮かんでいる。  でも、どんな顔?   思い出そうとすればするほどまったく思い出せない。  もしかしたら僕ちゃんは雲に恋をしていたのかもしれない。    それから何年か経ち、22歳の誕生日に阪神淡路大震災が起こった。    その年にアメリカ人の女の子と出会った。  そして彼女と結婚することになった。  えらく美人の白人女性だった。  結婚した翌年には子供も生まれた。  とても美しい男の子だった。  僕ちゃんにはまるで似ていなかった。  ちょくちょく誕生日に起こった有事には、そこはかとなく人生や命について考えさせられもした。人類の存続の意義とかも含めて深く考えた。災害と戦争とたくさんの人の死は、若かった頃の僕ちゃんにとって、重くのしかかる問題でもあった。  心の底から忌み嫌っていた宗教なんかでよくある祈るための言葉というものはそういった時のためにあるのかもしれないと実感した。  そして何もできない自分の無力さを痛感したりもした。  だからか母親は毎日祈っていたのかもしれない。  そう、彼女はきっと祈る以外何もできなかった。    それはさておき、だからなのかなんなのか、好きな有名人と生まれてきた日が同じなのはとても嬉く、考えると笑顔が作りやすかった。  そして勇気もいくらかもらえた。  誰かの誕生日が祝われてる時に、新しい誰かが誕生して、それと同時に誰かが名声を得ていく、同じ日に「なんだか嬉しいじゃない?」、しかし僕ちゃんの栄光はいつなんだろう?  待てど暮らせどそんな日はやってこない。  坂本龍一や山口百恵、ベンジャミン・フランクリンやモハメド・アリ、それとアル・カポネ、DJのティエストもカルビン・ハリスもそうだ。  こいつは嬉しい。  全員に「様」とか「殿」とかをつけて呼びたいくらい沢山の尊敬するカリスマたちが同じ誕生日だった。  当然、悪い奴だってかなりイカしている。  僕ちゃんにとって「悪」と「善」は背中合わせで一つだ。  そしてその中でも、一際目立っていたのが、連続殺人で有名な大久保清だ。彼も同じ誕生日だった。  彼は家族から「僕ちゃん」と呼ばれ、とても過保護に育てられたそうだ。  1973年2月22日、大久保清は死刑判決を受けた。  多田野卓は大久保清と同じ誕生日だ。  このことを知ったすぐる少年はなんとなく、ただなんとなく、「じゃあそのニックネームいただき!」と、大久保清のかわりに「僕ちゃん」と名のるようになった。  友達にもそう呼ばせた。  初めて会う人には僕ちゃんと呼んでくれとお願いした。  何故「清」じゃないのかって?  「だってダサいじゃん、なんか野暮ったくてさ」と、その時の僕ちゃんは笑って言った。  きっといい笑顔だったと思われる。  多田野家の遺伝子と決別の意を込めて、名前を捨てたつもりだったが、母親は今でも僕ちゃんを「すぐるちゃん」とよんでいる。  トホホだ。  まあ仕方のないことでもある。  母が名古屋から宮古島に帰ってしまい、長い間疎遠だったのだが、僕ちゃんの脳が病気になったおかげで、また連絡をとるようになった。  鹿児島の父もしかり。  多田野家はバラバラだった。  それが病気をきっかけにまた連絡をとるようになったのだ。  何がなんだか、さぁさっぱりだ。  沢山の、死んでも、こちらの病院の責任ではありませんよ、と、訴えても無駄ですからね、と、本当はそう書いてある沢山の書類に腱鞘炎になりそうなぐらい署名をして、丸1日断食をし、手術台へ向かう。  書類によると麻酔明けに暴れたら容赦なく拘束されるらしい、きっと、ハンニバルレクターみたいに、多分? 僕ちゃんの想像ではそんな感じだった。  麻酔明けの人間はとかく暴れがちなんだそうな。  恐怖なんだか、ただの不安なんだか、わからないけど、それはまるで永遠の別れをし、戦地へ行くみたいな気持ちになった。  第二次世界大戦終戦の日から67年経った年だった。  案内を担当してくれた目元バッチリメイクの看護師さんが、えらく可愛かった。どこか、異国の蝶を彷彿とさせた。多分、睫毛あたりが。鱗粉が綺麗な模様にまぶされたシンメトリーの彼女の顔は、僕ちゃんが『漢』であることを思い出させてくれた。「愛の下、死んでも戻ります」と、心で敬礼をした。  手術スタッフは、正義の味方みたいに頼もしく、とても気を配ってくれて、優しかった。何故か麻酔師がオレンジ色のバンダナとオーバーオール姿だったのに違和感を覚えた。    Grace/JeffBuckley    手術室でCDをかけてもらった。  今の時代の病院はそんなこともしてくれる。  感謝だ。  イントロのギターのアルペジオとともに緊張感がとろけた。  僕ちゃんの落ち着き払った顔を確認すると異国の蝶は僕ちゃんの目をジッと見つめた。僕ちゃんは極上の睡魔を期待した。  「綺麗な夢、見れるかな? イビザ島の海みたいな」恋人にでも話しかけるように伝えた。  「きっと、綺麗な夢ですよ、イビザ島の海みたいに。地中海の水は太平洋より少し冷たいかもしれないけど」。  死ぬわけじゃないとわかっていても、素直に怖かった。  死ぬ可能性だってなきしにもあらずだ。  「ワインが少し飲めたらいいのに」  「赤にします? 白にします?」彼女は何か作業をしながらでも答えてくれた。  「んーあー、赤がいいなぁ」。  光が反転し暗闇の世界になり。  蝶はパリパリに乾いて、動かなくなる。  一陣の風、そのひとふきで、その世界は粉々になる。  そんな綺麗な妄想にしがみつき、異国の蝶である看護師を見つめた。  「少しでいいからチーズも添えてほしいな。パルメジャーノを薄く切ったやつ」。  彼女は少し微笑んで何も言わなかった。  僕ちゃんは冷たい炎の中で待っていた。  彼女は雲間から月がこちらを見ているみたいに「1から数えてください、ゆっくりと」といった。  僕ちゃんは言われるがまま数えた。  なんとなく期待していた、皆既日食でも観るような、ゆっくりとした感触なんてまるで味合えることなく、そして「2」がやってくることはなかった。  僕ちゃんは瞬殺されたライブターゲット。  ライフルのトリガーは音を立てることなくひかれ、時間はそこで止まった。  かのよう・・・。  いや少し、ほんの少しだけ動いているのかもしれない。  スローモーションで落ちている水滴を見つめている。  脳がむき出しになっている頭が湾曲してそこに写っていた。  水滴は水晶玉みたい。  手に取ろうとしても「?」はまるで、動かない、むしろ「?」はなく意識が前にも後ろにも動かないようだった。  深くて静かな金縛り、恐怖はまるで「ない」。  暗闇の海を見つめてる時の不思議な不安感。  目の焦点はどこにも合うことはない。  その海は止まっていて真っ黒。  墨汁で書いた荒波、まるで版画のうようにしっとりと音も止まっている。  波音が聞こえはするが、それは薄く切られ断続する時間の間に挟まっているようだ。  ズズズ、ズズズっと海に亀が歩く速さで時間の隙間へひきずり込まれていく。  僕ちゃんは何もできずにいた。  かわききった流木みたいに動けない。  水に張った油は川を遡る。  大丈夫、きっと生きている。  紺碧の朝、靄のかかった誰もいない湖で広がる波紋。  いや、多分、巨大な水槽の暗くて深いところに、ポツリと意識が浮いている。  きっとそう。  でも静寂とも違う、無とも違う、透明にも感じられるが、漆黒の中に「?」のない、誰?  そこにいることだけは確かな感覚としてある。  いや『ない』。  名前がまだない、新しい存在。  存在のない存在。  「人間とは何か?」  「それは生きてみることじゃないのか?」  誰かが答えてくれた。  かなり高次元の存在だ。  僕ちゃんは聞いた。  「生きてみること、なのか?」  「そうだ。生きてみることだ。それは知ることに直結する」  「そうか知らないことは知ればいいんだ。考えればいいんだ。なのにそんなことすぐに忘れてしまって、怠けてしまう。なぜだ?」  「生きてるんだから仕方のないことさ」  途轍もない遠くから、誰かが、会話をしてくれた。  揺らいだ声で。  「忘れることも大切なことなんだよ、生きてる上で」  ああ、とても心地がいい。  波をスローで逆回転させたみたいに、遠くのほうから、じんわりとボヤけた映像が、手繰り寄せられ、しっかりと纏まり、始めた。  完全なる虚無なのか。  漆黒の世界と意識。  いや、意識なのか?  雪の結晶?  いや、一粒の光だ。    またUFOが近づいてくる?    いや、ただの光。  いや、やはりUFOだ。  UFOから光が降り落ちてきている。    光の粒子が、遠くに見える雨のように降り落ちてきている。  いや、近くにある砂時計のようにも見える。    やがて、その、それらの光はフツフツと人の形を象り、見覚えのあるものに構築されていった。  それは紛れもなく「僕ちゃん」だった。  少しだけ老けた坊主頭の僕ちゃんの姿が斜め右上の方に浮かんでいる。  左頬の長く伸びたほうれい線がそれを物語っていた。  ポケットに手を突っ込んだまんま、こちらを俯き加減に見下ろし、ニッコリ微笑んでいた。  星のない宇宙の中に、艶艶の光る傷ひとつない坊主頭がとても綺麗で元気そうだ。  たまに現れるUFOとか、たまに聞こえる声とか、それを見せてる脳とか、たくさんの点が連なって星座みたいに線となり、絵となっていく。  さらっと無視してきた物語。  僕ちゃんはそれを黙って見ている。  そもそも僕ちゃんなのだろうか? でもきっとそうだ。  何もできずにただ見ていることしか出来なかった。  僕ちゃんの法令線がふにゃふにゃと話し始めた。  「へい! 僕ちゃん! ぼーくちゃん! 聞こえるかい? まぁいい、聞こえてんだろう? 俺ちゃんだよ! わかりやすいようにあえての俺ちゃんだ。  ようやく会えたな119歳のお前ちゃんだよ、僕ちゃん。ハハ。寿命はほぼ全うしちゃってるからな、もうすぐ死ぬことになるだろうが、俺ちゃんは紛れもなく僕ちゃんだ。もうすぐ120歳だ。姿形はほぼ40代のままの僕ちゃんだ。2091年は良いぞー。最高だ。争いのない平和ってのが本当にあるんだ。僕ちゃんの憧れるスペインのイビザ島に住みつき、その日からこの歳になるまで、4人のワイフを持ち、最後には双子まで授かった。髪型は二人ともおかっぱボブだ。幸せ極まるね~、普通の父親になれたんだ。何故未来からわざわざ会いに来たかって? 僕ちゃんに伝えたかったんだよ。今の俺ちゃんは僕ちゃんが作ったんだってね。俺ちゃんは僕ちゃんに感謝している。最高の人生をありがとうってね。右の肘から手までは訳あってフェイクだが、それもまるで芸術作品だ。痛みはひどかったが、今はピンピンしてる。決して裕福ではなかったが、腕も含め何一つ困らなかった。それはもう裕福と言っていいんだろうな。感謝だ。イビザに来てから一人目の妻が、家を持っててそこを愛の巣として一緒に住んでたら、彼女、死んじまってな。彼女、身寄りもないからそのまま俺ちゃんが住んだ。人は死ぬ。それは仕方のないことだ。そして家だけが残った。それだけのことだ。二人目の嫁が島中友達だらけでな。なんであんなに人と仲良くできるのはは謎だが、その彼女のおかげでイビザ島のクラブは全部VIP扱いだ。みんな仲良くしてくれたよ。島の道では手を挙げればタクシーみたいに友達の車が停まってな、何処へでも乗せてってくれたよ。ビリヤードの相手もことかいたことがないよ。ダーツもな。そして彼女も当然のように先に死んだ。三人目の嫁はキャリアウーマンで、ニューヨークへ行ってしまって、その上知らない間に死んでしまって、気がついたらまた一人になっていた。墓ばっかり増えて何が何だかだ。四人目のワイフは凄いぞー。ここで双子も授かる。BOY OR GIRL? 楽しみにしとくんだな。お楽しみ袋に閉じておく。天国みたいにいい女ってのが、いるんだなぁ、ハハ。いいかい僕ちゃん。僕ちゃんは稀な存在だ。良いから好きな事を頑張りな。ギリギリ。ギリギリを狙うんだ。うまく逃げてスレスレを楽しむんだ。それでも! と言って夢を追い続けろ。誰の言うことも聞くな。己を強く信じろ。拳で胸を叩いてビートを刻め。あの鼓動だよ。僕ちゃんならわかるよな・・・・。それとぉ・・・。んーあー、あんまり食べすぎるなよ、食べ過ぎは身体に毒だ。ハハ。」ドクンドクン・・・。  「ハハ、わかるよ、あのビート」ドクンドクン「そう、これだ」。  意識が戻りそうになるといきなりソーダ水の中へ足首を掴まれて引きずり込まれた。あわてふためき手足をばたつかせブワッ! と一気に水面に上がった。  でも、そこは手術台の上だった。  「へ? は? お、終わった手術?」  だがしかし、小さなつぶやきはまったく声にならなかった。  体もピクリとも動かない。  虹色の音がピーン! と一気に透明感をおびた。ぼやけた目が慣れて来ると、そこにはバンダナ姿の麻酔師。   「ん? オレンジ? 手術中?」  無数の恐怖が天井からざぁっと雨のように降り落ちてきて、起きろと意識に連呼する。  「す、い、ま、せーん。すいませーん。聞こえてるんでしょう? んーあー、おかしいなぁ。すいませーん、ま、麻酔、きれてません?」    何が起こっているのかわからない、夢のまた夢の中でテレビに映る僕ちゃんを見ている僕ちゃんの映画といったところだ。  そしてその形而上のスクリーンは張り裂け、爆発音とともに光がブワ! と眼球になだれ混んできた。まるでもう一つの宇宙が始まったみたいだ。  インフレーションからのビッグバン、時間は流れ出し火の玉宇宙の誕生、星たちが次から次へと生まれ、大きな銀河へと成長し、宇宙の中に幾億の銀河があまねく。  恒星たちは超新星爆発を繰り返し、星屑は衝突を繰り返した。  宇宙の片隅で天の川銀河に地球は誕生し、そこによりそうように月が存在した。  海が生まれ、その海は子宮となって生命が育った。  1億年以上は恐竜の天下で、隕石の衝突からの恐竜の絶滅。  人類は宇宙の新入りになり、類い稀な世界が生まれ、そして・・・。  そして・・・。  そ、し、て・・・・・。  はじめに『言葉』があった。  「えー?!? あたし、この人が暴れたらおさえる自信なーい、キャハキャハハハ」。  もう一度いう。  はじめに『言葉』があった。  キャッキャと聞こえる女の子の楽しそうな声が起きたての脳になだれ込んできた。  どうやら看護師だ。  その瞬間とてつもない嘔吐感を覚え、咳をする。  キャッキャとしていたはずの看護師の女の子が声色を変え、ドラマティックに僕ちゃんを何度も呼んだ。きっと眉間にしわを寄せ、「多田野さん! 多田野さん! 聞こえてますか? 聞こえてますか?」  火曜サスペンス劇場「病院の一コマ」ってとこだ。  やるせない気持ち悪るさの中、ただただ苦しく、「きゃふん!」と咳き込んだ。  どうやら僕ちゃんは生きている。  長い時間、呼吸器をつけてたからなのか、喉が開きっぱになったみたいで、空気が喉のどこにも引っかからなかった。  呼吸がままならない。  天井から振り下ろす蛍光灯の光がいくつもいくつも通り過ぎて、地下の手術室からエレベーターで上がり、病院の一階を横切る。  そこは食堂から漂う食べ物の匂いで、さらに吐き気を掻き立てた。  「このままCTの検査に行きますね」優しく看護師は言うが、こっちは船酔いならず麻酔酔いだ。  えらく長い航海を一瞬でしてきたようだ。  ロビンソンクルーソーがどんなけ苦労をしたと考えるとさらに吐き気が増した。  だけども、そんな航海も、とにかく、終わった。  点滴は取れないが、自分の力でたち上がりトイレに行けるようになるのにはそんなに時間はかからなかった。    Beautiful/Christina Aguilera    水が出ている蛇口とハンドソープの間でiPhone4は小さく震えていた。  いつのまにかディスプレイにヒビが入っていた。  術後初めてベッドから立ち上がり鏡を見た。  形の綺麗だった頭はもういびつになって、奇しくもフランケンシュタインみたいな縫い目が「ト」の字に15センチくらい左側頭部に掘り込まれてる。  ホッチキスと言うか、ビルの壁についている非常階段みたいなのが、側頭部に設営されていた。  見た目は痛々しいが「ちっちゃいおじさんの遊具かよ」ひとりごちた。  これからこの頭の傷と付き合わないといけない。  空気のように普段まったく気にならなくなるくらいまで。  共に年老いた夫婦のようになるまで。  そろそろ退院かと言う頃、病室で久しぶりにテレビを観ていた。  売り出し中の芸人が連なって大須商店街を闊歩するという番組だった。  このような番組は往往にしてお好み焼き屋さんやたい焼き屋さんや台湾唐揚げなどの露店で大げさにうまいと言ってはたいした礼も言わず過ぎ去っていくというのが本筋だが、この日はちょっと違っていて、大須で働くメイドアイドルが集合し競ってアピールすると言う趣向の番組だった。  そしてちゃっかりとこいつらも    「メイニャンです!」  「なつニャンです!」  「うきニャンです!」  「戦後の奇跡! ザ・ニャンニャンニャンニャーズ!!! です!」    合わせてヲタ供も叫んできた。  僕ちゃんは叫んだ!  「お! メイニャン! ナツニャン! ウキニャン! ん? ピーマン?」  一緒に猫パンチポーズを決めているヲタ供の中に緑色のジャージとカエルのポシェットがブラブラしている姿がテレビ画面スレスレに写り込んでいた。  「オーマイガー」ひとりごちた。  緊張のあまりメイニャンの萌え声が震えている。  「きき、聴いてくだしゃい! しし新曲~」  「びゅびゅ、びゅーてぃふる再び!」  芸人のにやけた笑顔と気の無い手拍子の中、僕ちゃんの作った曲が地上波で流れた。  「お、おまえたちぃ~、ハハハハ」  久しくしていない大爆笑、そして裏腹に涙が止まらない。  リンカの差し入れのピルクルも吹き出す。  リンカはいつ持ってきてくれたんだろう?  僕ちゃんの笑い声は鳴き声に変わった。  わんわん泣いて何もかもが失敗した折り紙みたいにくしゃくしゃになった。僕ちゃんは何年もの間、いったい何を織り上げたかったのだろう?  まだ治り切っていない傷はジップロッックみたいにパックリ開いて、ブシュ! っと鮮血が吹き出した。  当然、口と顎と頭の筋肉は繋がっている。  そんなことにもなる。  それでも涙は止まらなかった。  そして出血も止まらなかった。  声が大きすぎたのか通りがかりのナースが驚いて入ってきた。  「あら大変」落ち着きはらった声で前髪ぱっつんの学生看護師は少しの間、檻の中の動物でもみるように目をパチクリとしていた。    『2012年夏Zootopiaは閉業』した。  当然『P』であることもなくなったわけだ。  僕ちゃんは金策に走るに走ったが、時すでに遅しで金を貸してくれる人も銀行もなしのつぶてだった。  挙げ句の果て、店のトイレが詰まり故障した。  Zootopiaだけではなくその下の階も含め下水管の大工事になってしまった。  何が詰まっているんだと調べると、誰かが流したウェットティッシュの蓋がすっぽりと下水管を塞いでいただけだった。  神がかったジャストサイズだ。  この工事に73万円の借金がまた加算された。  してしまった工事だ後戻りはできない。  高圧洗浄専用の車をよこしたり、店の床と壁を壊したり、下の階まで迷惑をかけて下水管を切ったり、床の混凝土を削り、そして元に戻したりした。  当然ただではない。人間は代金をとる。  容赦なく。  僕ちゃんは神がいるなら「それ」だ。とZootopiaを閉めることにした。  人生の転換期にはいつだってサインが現れる。  僕ちゃんは見逃さなかった。  「ありがとう助かったよ、神様」もうクタクタだ・・・。    2013年2月にロシアのチェリャビンスク州で隕石が落下し、騒ぎになっていた。  UFOが激突して助けてくれたという説が出回っていた。  そんな動画がYouTubeにいくつかアップされていた。  嘘か本当かは別として、もし見知らぬ誰かが身を挺して地球を救ってくれていたとしたら、それはそれでとてもロマンチックだ。  無責任に誰かが道端にゴミを捨てても見知らぬ誰かが拾っておいてくれるから、道はいつも綺麗なのだ。そ  れってとてもロマンチックじゃない?  僕ちゃんのUFOは今頃どこで何をしているのだろう?  Anyway  結局のところ僕ちゃんは術後の経過が芳しくなく、4年後2度手術をし2016年ようやく完治した。  人間の体の中で頭部は血行がよくないので治しにくいそうだ。  まぁよくある話と医者には軽く片付けられた。  まぁいい。  綺麗にふさがった頭の傷を眺めて僕ちゃんは少し前進したと安堵する。  その間に住んでいた部屋、事務所や、その後に住んだ部屋も含め、すべて引き払い療養という口実で宮古島の母の家に住むことになった。  気はまったく進まなかったが、働きたくなかったので4ヶ月だけ滞在した。 「すぐるちゃん」と名前をスヌーズ機能のように、またかまたかと連呼されるという地獄が待っていたが、仕方なかった。  全くもって金がない。  ちょっとだけモラトリアムだ。  それまでにiPhone5とiPhone5sを所有していたが、両方とも買ってすぐにディスプレイを割ってしまった。  猫にゃんは一足早く宮古島に来ていた。  すっかり母に懐いて、こちらのことはまるでなかったことになっているようだった。  硬いキャットフードが食べれなくなっていたのには心が痛んだ。  人にも猫にも老化はある。  やがて死もやってくる。  そして1週間ほどがたち、母から「すぐるちゃん」と1万回ぐらい呼ばれ「もういやだ」と頭を掻きむしっていた頃、僕ちゃん宛に小包が届いた。  その箱はやけに軽かった。  小包を開けてみると包装紙に包まった黄色い箱だった。  箱の内側には朱色の毛筆でスラスラとみたことのない、いや、なんとなく見覚えのある文字らしきものが書きなぐられていた。  その箱の底には事務所のドアーの上に貼ってあった完全に見覚えのある「おふだ?」お札が備え付けられていた。  そのお札を恐る恐るめくってみると、パキッとおられたガンプラのビームライフルがテープで貼り付けてあった。  異常に薄気味悪く、毛穴が全部開いた。  この日からというもの毎日続く梅雨の暑させいなのか、母に毎日「すぐるちゃん」と捨てたはずの名前で呼ばれるせいなのか、夢見はすこぶる悪く、殺される夢を毎日見た。  しかも毎回同じ夢だった。  昼寝の時までもだった。  だが、細かくいうと、全く同じではなかった。  3メートル程ある戦闘型二足歩行ロボットが登場する夢で、やけにリアルだった。ロボットが支配する世界はとにかく暗い。  ロボットは光を必要としないようだ。  そして朝日が昇る。  大地から煙が上がり燃える熱や匂いを感じるほど臨場感があった。  ロボットは焼け野原になった戦場で、重厚な見た目とは裏腹に、何百メートルも先からか瓦礫をジャンプ台にして、ホップステップと軽々とこちらにやってくる。  駆逐された戦車や山積みになった戦士の死体や爆弾であいた穴ぼこたちをひょいひょい飛び越えて来る。  肩の装甲板には「2足歩行クララ」と朱色の毛筆で書かれていた。  背中のランドセルのようなエンジンから、プシュッとジェット噴流の力を使って僕ちゃんに迫り、たった3歩でメカメカしい顔のアップになる。  光の穴に睨みつけられ、僕ちゃんと目があう「しまった! やられる!」とその瞬間、ガンと一発食らって、起床する。  そんな夢だった。  いつもロボットは映画でよく見る殺し屋のように、最後気取った捨て台詞を言おうとしている気がするのだが、聞き取る前に殺される。その都度息も荒く汗だくだった。その夢は殴られる時もあれば、短銃のようなもので至近距離で打たれる時もある。  「あれ? ビームライフルじゃね?」  それとなく硬いような熱いような感触もあるが、痛みはまったくはない。  というより痛みが来る前に死んでいるようだった。  僕ちゃんはベッドとパラレルワールドを毎度毎度行ったり来たりしている。  ある日の朝、当然の如く同じ悪夢で殺され、叩き起こされた。  ただいつもと違ったのは、ロボットの武器が「日本刀」だったことと「靴を脱いであがる事務所は大成しないよ」と捨て台詞を言われてから殺されたことだった。    それともう一つ。    目が覚めて瞼が開くと僕ちゃんの「右腕」が、肘の下から忽然となくなっていたことだ。    「んーあー、夢、だと、いいなぁ」音楽は流れた。    Jamiroquai/Virtual Insanity    買い換えたばかりのiPhone6sのイヤフォンから、前よりも、ほんの少しだけいい音で漏れていた。
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