朝虹

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朝虹

『――次のニュースです。グローザ製薬の違法な人体実験について、警察は、これまでの被験者全員とコンタクトが取れたと発表しました。一人の被験者の告発により発覚した今回の事件は、十数年前から非人道的な人体実験が繰り返し行われていたことが明らかとなっており、今後の調査次第では、被害がさらに拡大すると――』  几帳面な表情で原稿を読み上げるニュースキャスターの画面を消して、雨洞はスマートフォンを白衣のポケットにしまう。病室の窓はうっすらと白み始めて、新しい一日の始まりを告げていた。眠気を誘う一定間隔の心電音を聞きながら、雨洞は首をめぐらせ兄の腕に入っていく透明な液体を見つめる。英字ラベルが張られた不格好な容器には細いチューブが突き刺さり、薬剤が輸液ポンプを通って少しずつ兄の体に入っていく。  一番初めに木陰が倒れてた古い家屋の奥の庭、そこに一株だけ生えていた赤いアジサイの下からは、グローザ製薬の実験計画書と研究ノートが見つかった。木陰たちが血眼で探していた、明確な物的証拠だった。それがきっかけとなって、グローザ製薬に一斉捜査が入ったのはそれから三日後、今から三週間前のことだ。兄が命懸けで託した弾丸を、木陰は最速で彼らに撃ち込んだ。まさか、木陰の潜入がばれてから一週間も経たないうちに、捜査が入るとは思ってもみなかったのだろう。大量に見つかった過去の実験記録は動かぬ証拠となり、その非人道的な行いは世間から厳しく問いただされ、崖から落ちる勢いでグローザ製薬は失墜した。  問題なく薬が投与されていることを確認して、雨洞は丸椅子から立ち上がる。窓辺に近寄り、しずかな眼下を見下ろした。アジサイは色が抜けて白っぽく枯れ、代わりに濃く鮮やかな緑が、命を燃やすように茂っている。  木陰を見たのは、証拠を掘り出して渡したのが最後だ。あれからもうひと月近く経とうとしている。梅雨は明け、空は晴れ、蒸し焼きが直火焼きに変わったような熱さが毎日襲ってくる。この気温の中を、彼は今、事件解決に向けて駆けずり回っているのだろう。感謝や応援の前にまず彼の体調を心配してしまうのは、職業柄なだけではないと分かっている。  控えめなノックの音が鳴って、扉が開いた。 「まだ居たのか」  養母――東雲教授が入ってくる。そのうしろに目じりの垂れた小柄な男性も付いてくる。彼女の夫――雨洞たちの養父だ。 「どうだい?」  養父は端的に訊ねた。 「今のところ、変化は特に。フェロモンは出ていませんが、覚醒の気配もありません」
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