91人が本棚に入れています
本棚に追加
雨洞は横たわる兄を見つめたまま、淡々と答える。そうか、と養父は自分の頭をつるりと撫でで、唸った。
「そろそろ血中濃度も安定してくると思ったんだけどな」
「今まで使っていた抑制剤が、まだ抜けていないんだろう」
「半減期は過ぎていると思うんだけどねえ……」
養父母はぽつぽつと意見を交わし合う。
「あんた、まさか間違えた薬、持ってきてないだろうね」
養母がじろりと睨んで、鋭い視線に気弱な養父はたじたじとそんなことはない、と反論した。
「そんな心配はしてないですよ」雨洞は苦く笑う。養母の冗談は分かりづらい。「そもそも、成功する確率の方が低いんです。変化なしは、むしろいい結果かもしれない」
「大丈夫、ちゃんと効くよ」
養父が言った。しずかな声だった。割れた地面にしみ込む水のような声は、知れずカサついた雨洞の気持ちをそっとなだらかに整えてくれる。
またノックの音が鳴る。心当たりがなく首をひねる雨洞に向かって、養父は軽く手を挙げた。彼の関係者らしい。
「どうぞ」
言葉の後に入ってきた人物を見て、雨洞は目を見開いた。
「こんにちは。……いや、久しぶり、かな」
胸まであった長い髪はバッサリと切られ、丸かった頬はすっきりとシャープになっていたけれど、ベリーショートからのぞく耳の形は変わっていない。
おずおずと病室に入ってきた彼女――結花は、あぜんとする雨洞に向かって照れくさそうに笑った。
「どうして、ここに」
「彼女が我々の研究に協力してくれたんだ」
結花の代わりに養父が答える。雨洞は養父と結花を交互に見た。口を半開きにして声を出せない雨洞の姿に、養母は呆れ、養父は苦笑し、結花はやさしく目を細める。
「変わってないね、洸紫」
結花はそれだけ言って、兄のベッドに近づいた。博物館の展示物を覗き込むように、そっと彼の顔をのぞきこむ。
「バカだね、洸陽。本当に、ばか」
結花のつぶやきは震えていた。小さな両手が、白いシーツを固く握る。雨洞は音を立てないようにそっと、養父母を連れて廊下に出た。
最初のコメントを投稿しよう!