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チャンス、だと思ったのだ。彼と付き合えるのは今、この時だと。
市井明稀(いちいあき)がレストランのチェーン店で働き始めたのは、去年の十月からだった。高一の夏休み、生まれて初めてアルバイトを経験し、自らの労働で収入を得る術を覚えた明稀は、短期バイトの稼ぎを遣い果たした頃に今度は長期で働ける仕事を探した。
家と学校の中間の位置に見つけたバイト先のレストランで、明稀は恋に落ちた。相手は明稀より三歳年上の大学生、蓼沼皆人(たでぬまみなと)だった。
明稀が皆人のどこに惹かれたかといえば、端的に言って顔。そして、雰囲気。要するに見た目だった。顔面は平均を軽く上回り、且つ明稀の好みど真ん中。雰囲気は普段学校で目にする男子高校生たちより、ずっと大人っぽく垢抜けていた。
バイト初日にして恋にのぼせ上がった明稀だったが、落胆の時はすぐにやって来た。
十一月の半ば、明稀は年末のシフトについて上司と先輩が話しているのを聞くというのでもなく聞いていた…というより、明稀は皆人の声に無意識に反応してしまうようになっていて、彼の言葉を一言一句聞き漏らさない癖が付いていた。
「タデくんは、イブはやっぱり休みたい?」
そう聞いたのは、皆人よりも一つ年上の女性社員、細田(ほそだ)だった。
「いや、その時期は彼女も忙しいらしいから、どっちかっていうと大晦日と一日あたりがいいです」
「彼女って、この前来たコ?美人だよね、彼女」
会話する二人に背を向け、テーブル塩の補充に励んでいた明稀の心は、会話の内容により暗く重く沈んだ。
別に、ショックというのではなかった。皆人はいかにもモテそうな感じのする男性で、付き合っている相手も当然いるのだろうと明稀も薄々わかっていた。だが、察しているだけなのと、実際本人から聞くのとでは大違いで、それからしばらくは皆人を見る度想いが叶いそうにもない現実を実感し、明稀は憂鬱な気分に襲われた。
その状況が変わったのは、年が明けてから半月が経とうとしていた時だった。急に休むことになったパート従業員に変わって、急遽、土曜日のシフトに皆人が入った。
細田が「土曜だけど、いいの?」と聞くと、「彼女に振られて以来、暇なんで」と多少のいじけを混ぜて皆人は答えた。やりとりの一部始終を二メートル離れた場所で、床にモップをかけながら明稀は聞いていた。
チャンス、だと思った。
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