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0点とごみ箱
「ここか……」
その日の午後、斎藤は県内最大手の英会話教室「リトル・ジーニアス」の看板を見上げながらそうつぶやいた。自動ドアをくぐって中へ入ると、受付にスーツ姿の若い女が座っている。斎藤が受付で警察手帳をポケットから取り出すと、女は奥の事務スペースへと入っていった。
5分もしないうちに、1人の女性が姿を現した。歳は20代後半くらいだろうか。
「お待たせしてすみません。陽介君のクラスを受け持っていました渡辺と申します」
淡いピンク色のブラウスを身に纏った渡辺はそう言って斎藤に名刺を差し出す。
「お忙しいところすみません。陽介君が亡くなった背景について念のため調べておく必要がありますので。陽介君、何かこちらで変わった様子などありませんでしたか?」
「そうですね。数ヶ月前までは楽しそうに通っていたんですけどね。でもそのあたりからあまり授業にも顔を見せなくなりまして」
渡辺は困ったような表情でそう答える。
「何かあったんですか?」
斎藤はそう尋ねるが、渡辺の表情は変わらない。
「いや、思い当たるところはありませんね。その頃に入会した同じ学校の子たちとも仲良くしてたみたいですし。その子たちが筆箱を忘れてきていたときに鉛筆を貸してあげたりもしてたみたいです。とてもいい子に見えましたけどね」
「そうですか……」
斎藤は何かしら糸口をつかもうと手を替え品を替え渡辺に問うが、釈然とした答えは得られないまま時は過ぎていく。
「あの……そろそろよろしいですか?今日はキンダークラスのテストなのでそろそろ準備をしないと……」
テスト、という単語に斎藤はなぜか引っかかった。
「では失礼します」
「あ!ちょっと待ってください。最後一点だけ」
頭を下げた渡辺を前に、斎藤はそう告げる。
「陽介君もそのテスト、受けたんですよね?この間」
「はい。クラス分けのテストですからね。皆さんに受けてもらいます」
「結果は思わしくなかったようですが」
「はい。0点だったんです。私もびっくりしました。彼は間違いなく選抜クラス、いや、それ以上の学年のクラスに入ってもおかしくないレベルの子だったんですけど……」
渡辺はあたかも採点が終わった直後のような驚きの表情を見せた。
「前回の出来はかなり良かったらしいですね」
「はい。100点満点でした。陽介君はクラスの中でも1番デキが良い子だったので、たとえ数ヶ月休んだとしても0点を取ることはなかったと思うのですが……」
「ほかの子たちの成績はどうだったんですか?」
「陽介君と仲が良かった子は軒並みデキは良かったですね。ですから陽介君だけは別のクラスにクラス替えはやむを得ないかなぁと思っていたんです。お母様にそれをお伝えしたらかなり怒ってらっしゃいましたけどね。うちの子がそんな成績を取るわけがないって」
「そうですか……ちなみにそのテストの問題、見せてもらえますか?」
「いいですよ。必要があれば聞き取りテストの台本もあるのでそちらも見てください。では私は授業がありますので……」
渡辺はそう言ってテスト問題一式を陽介に渡すと、教室へと向かっていった。
陽介は椅子に腰掛けてテスト問題にくまなく目を通した。問題用紙の最初のページにはケーキやジュース、果物などの絵が並んでいる。音声を聴いてその単語が示すのはどれかを3つの選択肢の中から選ぶ形式のようだ。また、他のタイプの問題についてもすべて問題は3択式になっている。
「これは……」
斎藤は目を皿のようにして問題用紙を再度見返した後、首を上げた。
「あの……すみません」
斎藤は受付事務の女性に尋ねる、
「何でしょうか?」
「ここの清掃って、どなたがなさってます?」
「え?掃除ですか?掃除は週に2回、業者が入ってますね。でも教室のゴミはいつも私がまとめてますよ」
「そのとき、妙なゴミとか見つかりませんでしたか?特に、陽介君が休みがちになる前あたりで」
斎藤の目つきが鋭くなる。
「妙なゴミ……あ!そういえば……」
受付の女性はそう言うと斎藤の目を見つめ、ごみ箱の中身について報告する。斎藤の目は確信を得たかのような鋭い目つきになった。
「それは、本当ですね?」
斎藤が念を押す。すると女性も
「はい。間違いないです。でもそれがどうかなさいましたか?」
と訊き返した。
「いえ。捜査の参考になりました。ありがとうございます」
斎藤はそう言って深く頭を下げると、そそくさとこの建物をあとにした。
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