三章 一番大事な問い

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三章 一番大事な問い

俺はコピーを取りながらリライオンシステムに関する会議を書き取った議事録を見た。 『では、リライオンシステムの性能は問題無さそうということですか?(氏家)』と書かれてあるのが目に入った。 俺は一行下を読む。 『はい。しかし、リライオンシステムの稼働から三ヶ月が経った今、性能を調査する必要はあると考えます(西園寺)』 『性能に問題があった場合どのようなことが考えられますか?(氏家)』 『性能に問題があった場合は一日のデータの処理件数に影響が出ます。一日のデータの処理件数に影響が出れば、御社の業務に影響が出ます(西園寺)』と書かれていた。 専門用語のようだが、意味の分からない言葉ではない。 リライオンシステムの性能に問題があれば得意先の仕事に影響が出るということを言っているのだろう。 つまり、今度打ち合わせをするライオンの性能調査は、得意先の仕事に影響を与えるほど大事な仕事だということだ。 俺はコピーを取り終わり、西園寺さんに書類を渡した。 「朽木、中身読んだか?」西園寺さんは書類を受け取りながら言った。 「はい。簡単にですけど」俺は西園寺さんに言った。 「今回のライオンの性能調査は、ライオンに問題があるから調査するのではない。ライオンに問題が無いから調査する。朽木はこの二つの違いが分かるか?」西園寺さんはいたずらっぽく言った。 ライオンに問題が無いから調査する? 正直なところ西園寺さんの言っている意味がよく分からない。 問題があるから調査することと、問題が無いから調査することはどこが違うのか? というより、そもそも調査というと、問題があるから調査することのように思える。 問題が無いのに調査するというのはどういうことなのか? 俺は西園寺さんの質問に答えが出なかった。 「すみません。その二つの違いが分かりません」俺は西園寺さんに言った。 「だろうな。朽木は来週の打ち合わせでその問題を考えることだ」西園寺さんはそう言うと自席に着いた。 俺も自席に着く。 問題があるから調査する。 問題が無いから調査する。 この二つはどう違うのか? 俺は話を単純にした。 例えば、家の水道に問題があるから調査してもらう。 これはごく普通の感覚だ。 では、家の水道に問題が無いから調査してもらう……。 これは何か変だと感じる。 家の水道に問題が無いのにどうして調査してもらう必要があるんだ? 俺はシステムエンジニアとしての宿題を一つもらった気がした。 俺はシステムエンジニアには普通の感覚とは違うことがあるということだけでも勉強になった。 もしかして、この先も俺の常識では計り知れないことがあるんじゃないか? 俺は山道が急に細くなったような気がした。 山道は窮屈だ。 しかし、ここを通らずには山頂には辿り着けない。 篤海くんは思い込みが強そうかな……。 忍の言っていた言葉が頭にこだました。 俺は思い込みが強そう……? 思い込みと常識はどう違うのか? 俺は確かに常識的な人間だと思う。 活動していることと言えば、趣味でやっているバンドぐらいだ。 毎朝きっちりと起きて、毎晩きっちりと寝る。 しかし、常識的なことと思い込みが強いこととどう違うのだろうか? 常識的では山頂に登れない? だとしたら、俺は今まで身につけた常識をどうすればいいのだろうか? 西園寺さんから出された宿題は俺の本質を突く問題のように思えた。 過酷な一歩。 山は登り始めが一番大事。 俺は一つ一つの問題を確実にこなしていくことが問われていると思った。 俺の問題……。 思い込みの問題……。 常識の問題……。 俺は俺にこびりついた常識を剥がさずに、山頂には登れない。 まるで同じところをぐるぐると回っているような感覚……。 前へ進んでいるのか進んでいないのか分からない。 しかし、問題だけは次々とやってくる。 これは俺の常識の仕業なのか……? 俺に常識があるからこそ、問題が次々とやってくるんじゃないのか? だとしたら、俺に常識はもう必要ないんじゃないのか? 俺は九城部長を見た。 九城部長は分厚い書籍を手に取っている。 俺にこびりついた常識……。 俺は席を立った。 廊下を通り、一色さんの席へと向かう。 一色さんはチェックのベストを着ている。 「あら、朽木さん?どうかしたかしら?」一色さんは黒いサインペンを机に置いてこちらを見た。 「つかぬことを聞きますが、一色さんはどうして事務職を選んだのですか?」 俺は一色さんに聞いた。 「あら、じゃぁ、どうして朽木さんはシステムエンジニアを選んだの?私が事務職を選んだ理由は朽木さんがシステムエンジニアを選んだ理由とたぶん同じよ」一色さんははっきりと答えてくれなかった。 そりゃそうか……。 俺は聞き方が悪いのだと思った。 次は聞き方を変えてみた。 「すみません、質問を間違えました。一色さんはどうしてシステムエンジニアを選ばなかったのですか?」俺は一色さんに聞き方を変えて再度質問した。 「システムエンジニアを選ばなかった理由?そう聞かれると確かに難しいわね。強いて言えば、私は機械に強くなかったからかしら?」一色さんは黒いサインペンをカタカタと動かした。 一色さんは機械に強くなかったからシステムエンジニアを選ばなかった……。 じゃぁ、逆に俺はどうして事務職を選ばなかったのか? 俺が事務職を選ばなかった理由は、細かいことをやるのが苦手だからだ。 ということは、俺は細かいことをやるのが苦手で、機械に強いということか? 俺の弱点が少し見えた気がした。 「ありがとうございます。悩んでいたことに答えが見えた気がしました。また相談させてください!」俺は一色さんに言った。 「いうでもどうぞ」一色さんは口元を上げて言った。 俺には弱点がある。 細かいことが苦手だということだ。 それに人に正しいことを指摘されると焦るという弱点もある。 そして、思い込みが強いという弱点も……。 考えれば考えるほどに、俺は弱点だらけのように思えてくる。 しかし、俺の弱点を知らずに山頂を目指すと道を外れる危険がある。 俺は廊下を通り、自席に戻った。 「朽木、急に席を立ってどうした?」西園寺さんが言った。 「いえ、ちょっと考え事がありまして」俺は西園寺さんに言った。 「考えるのもいいけど、ほどほどにな?」西園寺さんは言った。 西園寺さんに前にも同じように注意された気がする。 前は確か、あんまり考えすぎるなよ、だったはずだ。 ものごとを考えすぎてしまうことも俺の弱点か? こんなに弱点が多くてはシステムを作る以前の問題だ……。 どうしたら俺は弱点を克服できるのだろうか? それとも、俺には弱点を克服する以外の道があるのか? 弱点が多ければ、システムの弱点もそれだけ多くなるだろう。 俺は山道には猛獣以外に、毒虫がいることを知った。 毒虫は俺の弱さだ。 刺されたらひとたまりもない。 少し見えていた山頂がはるか彼方に遠ざかっていく。 俺が麓で足踏みしている間に、山頂はどんどん遠ざかる。 これで本当に山頂に辿り着くのか? 俺は入社二日目にして、社会の厳しさを知った。 とてもじゃないけど、山頂に辿り着く自信がなくなる……。 しかも、問題は全て自分にある。 弱点があることは一番の問題じゃない。 一番の問題なのは、俺が弱点を知りながら放っておくことだ。 だから、俺は弱点を克服する。 俺は足元を見た。 足元には小さな希望があった。 俺はこの小さな希望を胸に山頂に辿り着く。 俺はまずは考え込む癖をやめた。 一つの問題を考え込むのをやめ、一度に複数の問題を考える。 そうすることで、俺の常識を一つ手放す。 四角形だったフロアがわずかに丸くなったように思えた。 「朽木!ちょっといいか?」黛課長が急に俺の名前を呼んだ。
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