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 海から離れた場所で新しい生活を始めた後も発作が収まらなかったせいで、私は度々夜に電車に飛び乗って海に向かわなければならなかった。発作が起こるのは大体は、最初の夜のような気分の時、つまり悲嘆とか絶望とか憎しみとかそれにくっついて増殖する諸々の薄暗い感情が優勢になっている時だったのだが、この頃は症状が進んでなんでもない時でも頻繁に起こるようになっていた。闇の奥の巨大な水溜に目を凝らして、永遠を体現する鳴り止まない波の音に耳を澄まして、気が済んだら帰る。気が済むまでにかかる時間はまちまちだった。一分もかからないで引き返す時もあれば、終電間際まで粘っていることもあった。  彼女に再会した日の夜は、激しい雨が降っていた。私は滅多に使わないレインコートのフードまで駆使してすっぽりと体全体を覆い、ビニール傘を両手で持って、さすがにその夜は浜まで下りずに堤防の外から海を眺めた。それでも雨は傘の中まで入り込んできて、防水布の襟から袖口から侵入し私の体を容赦なく濡らした。波の音は聞こえなかった。雨が傘を叩きつける音がうるさかった。風がびゅうびゅう吹く音が耳を覆った。何も見えなくても、海が荒れているのがわかった。次の瞬間には呑み込まれて海中にいる自分を想像すると恐怖が頭の天辺まで駆け抜けたが、同時に胸が高鳴った。私は糊付けされたようにその場にいつまでも立ち尽くしていた。  そろそろ帰らないと今日はこの地に泊まることになってしまう。でも立ち去りがたい……ぐずぐずと葛藤していると、ふいに人の気配を感じた。     
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