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「…なんですか。これ。」
「なんですかってご自身の体のことまで忘れてしまったんですか? 検温と言いまして、浜園さんの生理周期を把握したいので、これから毎日仕事前に体温を測って頂きます。」
「あなたの言うことなら、何でも聞くとでも思っているんですか?」
「強制はしませんが、ご懐妊を目指して私も全力でサポートしていきますので、浜園さんにも協力して頂きたいです。」
さぁ早く受け取ってと言わんばかりに、先生は小刻みに体温計を震わせる。私はしばしそれを冷ややかに睨み付け、それを先生の手からひったくる。昨日のこととはいえこの人に裸を見られるのは癪なので部屋から出ようとすると、先生が静止する。
「あぁこの部屋でしてください。不適切な計測をされては折角のデータが台無しになってしまいます。」
何がデータだ。裸が見たくてたまらない猿のくせに。と悪態をつきながら私は着ている男物であろうパーカーに手をかける。サイズが大きくブカブカのため脱ぐのに苦戦していると、先生はあははっと声をあげて笑い出す。
「…何がそんなに可笑しいんです?不愉快なんですけど。」
「あはは、いえ、申し訳ありません。口では散々言っときながらも、まさか、浜園さんがそこまで治療に熱心な方だとは、思わなくてね。一つ言わせて頂きますと、それは口に咥えて計測する物です。」
先生はほら、これを見てくださいと言って箱を私につきだしてくる。私が持っている体温計と同じデザインの物がプリントされており、しっかりと『口中専用』と書いてあった。
「うっ。ちょっとド忘れしただけです!!どうせ何も憶えてないですよ私は!!」
顔から火が出そうなのを隠すために、私は勢いよく体温計を咥えてそっぽを向く。興奮しているからだろうか。体温計は不思議なことに桃に似た味がした。きっと今の私の顔も熟れた桃みたいに赤く染まっているのだろう。
計測は数秒で終わり、先生に乱暴に突き返す。先生はパソコンのグラフに数値を入力し、何か頷きながらしばし液晶画面とにらめっこしていた。
「よし。さて、お待たせしました。準備ができましたので今から業務の説明をします。今日一日、よろしくお願いします。」
先生はこれまた爽やかな笑顔で、手を差し出してきた。返事はもちろんのこと手すら触りたく無いけど、拒絶していると急に私の手を取り無理やり握手してきたので、「はいはい!!よろしくお願いします!!」と吐き捨てて力ずくで手をほどいた。デリカシーという言葉すら無いのだろうかこの男は。折角のいい顔立ちが台無しだ。
できることなら潰してやりたい程に苛立ちしか感じられない先生のその顔は、満面の笑みで溢れていた。
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