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「嘘つき」  ――そう言ったあの顔が、今も頭から離れない。  私はただ、あの言葉が欲しかった。  存在する筈など無いと思っていながらも。  ****  ――ああ、今日が始まってしまった。嘘に塗り固められた、代わり映えの無い1日が。  私はいつも通り身支度を整え、朝食を食べて家を出た。 「おはよう」  教室に入ると、クラスメイトが振り返って声を掛けてくれる。私は普通にそれに答える。 「おはよう」  自分は恵まれているほうだと思う。誰にも挨拶されない人も結構いるのだから。  ……でも、それでも。私は今目の前で喋っている人を、信じられないでいる。どうせ皆、違うことを考えているくせに。  ……私のように。  ところで私には、何年も前から仲の良い友人が1人いる。しかし裏を返せば、それは彼女しかいないということだ。 「ねえ、次の日曜日のことだけど」 「あ、ごめん。先約があったんだ」  彼女は申し訳なさそうにこちらを見た。  ズキン、と胸が痛んだ。彼女に限って、嘘を吐くようなことは絶対ない。 「いいよ。気にしてない」  ――嘘ばっかり。本当は嫌なくせに。私だけを見て欲しいのに。  絶対に言う筈の無い言葉が脳裏に浮かんだ。……私は、嘘つきだ。 「あ、そこ持って」 「わかった」  よくある共同作業の風景。今日は修学旅行のレクリエーションで使用する道具の作成だ。皆が平然と共に行動している。まるで常日頃あら親しいかのように、滑らかに会話している。私はこの空間が最も苦手だ。 「ありがとう」  軽く微笑む度、何かが軋んでいく。こうしないと、世界は回らないのは分かりきってるのに。  上辺ばかり取り繕って、どうして平気でいられるんだろう。  ……そういえば私は人から、優しい人だとよく言われる。その度に否定するのだけど、大抵こう返される。 「だって、怒ってるところを見たことないもの」  違う。愛情からくるものなんかじゃ決してない。仕方がないな、と苦笑するような、あんな優しさはそこに無い。最初から期待していないだけ。その程度だ、仕方ない。そういう冷たい無関心の結果なんだ。  だから何も感じてないんだ、と一気に言葉が駆け抜ける。  検討外れな評価に脳内で幾ら反論したって、相手には届くはずもないけれど。  休み時間、クラスメイトが話している声が聞こえてきた。ふと、独特な言い回しが耳についた。  あの人には、あんな口癖があったっけ。  ……いや、違う。私はすぐさま否定した。  気付いてしまった。あれは、彼の口癖だ。私の好きな、あの人の。口癖が移る。それほどに親しいんだ。  嫉妬で脳が焼けただれる。  ****  時折、夜中に鏡で自分の顔をじっと見つめてみる。彼女は無表情にこちらを眺めている。急激に吐き気が込み上げた。 「嘘つき」  自分でそう呟いた。そのときの顔が、脳裏に焼き付いて離れない。  ****  体育の班決めをすることになった。有難いことに、1人が私の方へ近づいてくれる。 「一緒にしない?」 「いいの?」 「もちろん」  この人がどんなに優しい人なのか、どれほどいい人なのか。さすがの私でも理解している。普通に好きだと思う。  ……それでも私は、怖いと思ってしまった。 「……疲れた」 「お疲れ様」  帰り道、私は親友にぼそりと愚痴を溢した。いつも黙って聞いてくれる彼女には頭が上がらない。  何でこんなに、疲れてしまうんだろう。嘘ばかり吐いて何も信じられない。私はただ、純粋さが欲しいだけなんだ。  口数の少ないまま、別れる角に近付いていく。そして去り際に彼女は、ふっと私に体を向けた。 「そうだ、今日は君の誕生日だね」  そういえばそうだった。最近私は、自分の誕生日にこだわりが無くなっている。  ふわりと目が細められる。 「おめでとう」  彼女はただそう言った。  嘘偽りの無い、暖かい言葉。私が何より欲しかったもの。たった一言、純粋な祝福。  胸が締め付けられる。こんなに心のこもった言葉を、私は貴女以外の口から聞いたことはない。  ――ああ、もう、だから。だから貴女は。  いつまでだって、私を捕らえて離さない。
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