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隆は親友で、そして恋人だった。そう、たった三日間だけの恋人。
十年前、太陽が別れを惜しむ赤い砂浜でその奇跡は起こった。
亮司と隆が出会ったのは高校に入ってからだ。それでも二人はそれまで出会っていなかったのが何かの間違いだったかのように急速に仲良くなり親友と呼べる間柄になっていった。思春期の頃より自分がゲイだと自覚していた亮司は当然のように隆に恋をする。口に出せない想い。亮司はそれでもいいと思っていた。口に出して隆を困らせるのは嫌だったし、この関係を壊したくなかった。いつか隆に彼女ができて終わりを告げるかもしれない。それでもそれまでは自分が隆の隣にいる、そんな今を大切にしたかった。
喜びと切なさを綯い交ぜにした青春の日々に変化が訪れたのは高三の夏休みだった。隆がバイクを買ったから二人で海へ行こうと言い出した。バイクといっても50ccのスクーター、二人乗りなど違反ではあったが、そんなこと取るに足らない些細なことに思え亮司はその誘いにのった。風を切り走る中、隆の背中が思っていた以上に大きいことに気づき否が応でも自分の気持ちを再認識させられる。隆のことがどうしようもないくらいに好きだと。
隆が穴場だと言っていた小さな入江のような海岸で二人はトランクス一丁になって海に入る。二人だけの空間、二人だけの時間、海水を掛け合い体を投げ飛ばし、砂まみれになって転がり回る。
やがてコバルトブルーの海岸が赤く染まり始めた頃、
「あははは、男二人で何やってんだろうな俺ら」
隆が砂浜で寝転がりながら笑って言った。それを聞いた亮司は思わず口走ってしまう。
「俺は隆となら--」
「ん?」
まずいと思った。でも今なら何とでもごまかせる。
だけど--、
「俺は隆が……」
もう限界だった。溢れ出る隆への想いを閉じ込めることができない。
「ごめん、キモいよな。男の俺がこんな--」
もう終わりを迎えてしまう。二人が親友同士でいられた時間が、あの沈みゆく夕日とともに。いつかは来ると覚悟していた、なのに。もう少しだけ、もう少しだけでいいから、時間を、太陽を誰でもいいから止めてくれ。
「じゃあキモいかどうかさ」
「え?」
硬く目を閉じていた亮司の唇に何かが触れた。目を開けるといつのまにか起き上がっていた隆の顔が近くにある。
「確かめさせてよ」
亮司の返事を待たずに唇が重なる。先程の感触が1度目のキスだったのだと今気づいた。そして2度目のキスは長く激しい。隆の舌が亮司の唇を割って侵入してくる。
「んぅく」
頭が痺れる。
亮司の体が自然と隆の体の重みに押し倒される。背中に感じる砂の感触が、隆の肌の温もりを一層際立たせた。
童貞二人の息遣いだけで交わされる逢瀬は、とてもセックスとは呼べない互いの体を擦り合わせるだけのいとなみ。それでも互いの想いを確かめ合うには十分だった。
やがて日が完全に沈みきった頃、二人はほぼ同時に果てた。
しばらく息を整えてから、隆が右掌を亮司の顔の前にかざして言う。
「へへ、俺らちゃんとホモだったな」
隆の掌からツンとした精子の臭いがした。自分と隆の精子が混じり合った臭い。
「うん」
亮司はその掌に自分の掌を重ねて小さく頷いた。
その日の夜、亮司は自分のベッドの中で少しだけ泣いた。
こんな奇跡が起こると思ってもいなかった。こんなことたまに見る漫画の中でしかありえない出来事だと思っていた。まさか自分に訪れるなんて夢にも思っていなかった。
嬉しい。でもそれだけではない。
隆との親友の時間に終わりが訪れたことに少しだけ切なくなる。これから過ごしていく恋人という未知なる時間に臆病になる。
少しだけ泣いてから、しばらくの間は隆のおおらかさに身をゆだねようと考え至る。隆の優しさに甘えさせてもらおうと、そんな風に思ったら自然と不安が薄らいでいき、やがて亮司は眠りについた。
次の日、隆は朝からバイトで会うことができない。その代わり明日は休みだからデートしようと言ってくれた。
亮司は宿題でもしようとするものの、昨日の興奮が冷めやらぬためかそれが手につかない。
明日は家に誰もいないから一日家で過ごしたいな。でも、そんなことを口にしたら隆にいやらしいやつだと思われるだろうか? 昨日の続きがしたくないと言ったら嘘になる。けどそれ以上に隆とくっついていたい。普通のカップルのように外で腕を組んだり手を繋いだりできないからせめて家の中だけでもと願ってしまう。
でも、くっついていたら結局したくなっちゃうだろうし、そしたら昨日の感じだと俺の方が下かな。それはいいんだけど、するんなら先に自分であそこをほぐしておいた方がいいのかな。だけど準備万端と思われても恥ずかしいし、やっぱり先に隆と相談してからの方がいいんだろうか。もしかしたら俺の方が隆の中に--。
亮司は後から後から湧き出てくる悶々とした想像と疑問に翻弄される。結局その日やれたことは少し遠くにある薬局でコンドームとローションを買ったことだけ。それをレジに出すとき変にドギマギしたが、店員が何事もないようにそれらを紙袋に入れて会計をする姿をみて、普通のことをしているだけだと自分を落ち着かせることができた。
夜、隆からメールが来た。
『やっとバイト終わったー(><)
明日は9時に迎えに行くね(ハート)
おやすみダーリン愛してるヾ(☆´3`)ノシ⌒chu♪』
メール一つで胸が騒がしくなる。
亮司も、
『おつかさま
ありがとう、待ってるハニー愛してる』
そう打ち込んで送信しようとするも、やっぱり気恥ずかしくなって、『ハニー愛してる』の部分を消去して送信ボタンを押す。
隆みたいに素直になれない自分に嫌気がさして、亮司は深いため息を吐いた。
次の日、隆が約束の九時になっても迎えに来なかった。亮司は心配になり隆の携帯電話に電話をかけるも『おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かない場所に--』のお決まりのアナウンスが流れてくるだけだ。
デートに浮かれて気がはやっているだけだと自分に言い聞かせ一時間ほど何もしないで待ってみる。それでも電話は繋がらないし、送ったメールも読まれている気配もない。さすがに何かあったのだろうと隆の家に行ってみようとした矢先、クラスメイトで隆の幼馴染の圭吾から電話がかかってきた。言い知れぬ不安に襲われ亮司は一瞬だけ電話に出ることを躊躇する。その後、そのとき携帯の着信音にしていた古い流行歌を二度と聴きたくなくなるなどとは、今の亮司には知る由もなく恐る恐る電話に出る。
「もしもし」
『亮司か……』
圭吾の声が震えていた。
『隆が……隆が、死んだ』
亮司は持っていた携帯電話を落とした。
『もしもし、もしもし、亮司--』
床から聞こえてくる微かな圭吾の声。その記憶を最後に、そこから半年間ほど亮司の記憶はぽっかりと抜け落ちることとなる。全ての義理を投げ捨ててでも、隆の死から目をそらすことしかできなかった。
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