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 隆の死んだ日から記憶が混濁していた亮司は、いつの間にか東京の大学に進学していて忙しい日々をぼんやりと過ごしていく。その間あまり隆のことを思い出すことはなかった。記憶の断絶が隆への想いまで断ち切っていたのではないかと後になって思う。ともあれ、大学生活の中で人並みに友達を作り、人並みにセックスをして、人並みに傷つき大人になっていく、都会住みのゲイのテンプレをなぞるように生きた。そして大学を卒業後地元に戻り就職する。  隆が死んでから五年、社会人になって一年目が過ぎようとしていたある日、圭吾から『会いたいと』連絡を受ける。 「よぉ」  居酒屋の暖簾をくぐると少し奥まったボックス席から圭吾が声をかけてくる。 「久しぶり」  亮司はそう軽く挨拶してから店員に自分の分を適当に注文する。圭吾の方は先に始めていたようで、減った唐揚げの皿と半分になったビールジョッキが目についた。 「珍しいな圭吾の方から会いたいなんて」  ここ数年、亮司の方から何度か圭吾を誘ったことがあったが何かと理由をつけて断られ続けていた。 「生一丁と枝豆お待ちぃ」  亮司は店員の運んできたビールを一口飲む。ビールの苦味も久しぶりな気がした。 「すまない。忙しかったのは本当なんだ」 「警察官だもんな、そら忙しいよな」  圭吾は高校卒業後、浪人するか就職するか悩んだ末に、警察官になる道を選んだのだと人伝に聞いていた。 「圭吾らしいと思う。警察官」 「俺も我ながらそう思うよ」  圭吾はそうはにかんでから、景気付けのように残ったビールを煽りお代わりを注文する。 「クラスの奴にさ亮司が地元に帰ってきて元気そうに見えたって聞いたから、もう大丈夫かなって思って」  圭吾のその言葉に亮司は察しがついた。 「そんなに酷かったんだな、隆が死んでからの俺」 「やっぱり記憶なかったんだな。どうりで気楽に誘ってくると思った」 「ごめん」 「酷かったよ。俺、怖かった。あんな亮司を見てるのが」  一人の人間の精神が崩壊していく様をまざまざと見せつけられた、そういうニュアンスのことを圭吾は口にした。  隆のいなくなった教室で、抜け殻と発狂を繰り返しては圭吾が寄り添い、そして後処理に追われていたと。 「それがまさか自分だけセンター試験であんな点数叩き出して、さっさと東京にいっちまいやがって」 「ごめん、俺知らなくて」  圭吾が浪人した理由が自分だったことに亮司はそのとき初めて考え至った。 「いや、俺の方こそごめん。亮司が怖かったのもあったけど、でも心配してたのも本当なんだ。会えば隆のこと思い出してまた辛くなるんじゃないかって」 「うん、そうだな。ありがとう」  それから二人は近況などの当たり障りのない会話を続けた。亮司はそんな中で時折重たくなる圭吾の口数に、彼が本当はもっと別の要件があって躊躇しているのだと気がつく。 「圭吾、何か俺に用事があって呼んだんじゃないのか?」 「それは……」 「大丈夫。俺、もう受け止められるから、多分。だから話してほしい」  圭吾はすでに空になったジョッキに手を伸ばそうとして空だったことに気づいてやめ、やがて観念したように口を開く。 「茂がな……茂のこと覚えてる?」 「ああ、隆の弟の」  隆の五歳年下の弟。隆と幼馴染の圭吾は当然茂とも交流があって、高校に入って亮司が合流してからは、よく4人でゲームなどして遊んでいた。茂は隆をそのままミニチュアにしたような容姿をしていて、亮司は自分の知らない頃の隆を見ているようで少なからず愛しいと感じていたことを思い出す。 「茂な、あの事件の後結局引き取ってくれる身内がいなくて施設に入ったんだけど」  当時、隆が死んだことでいっぱいいっぱいだった亮司が隆の死の理由を知ったのは大学に入ってしばらく経ってからだった。それもネットに載っているような赤の他人と同じく表層的な内容しか知り得ていない。  wikiなどによれば事件は隆の父親が起こした無理心中だったそうだ。隆の母親は隆が中学の頃すでに病気で他界していた。元々心の弱かった隆の父親は妻という支えを失って、更に近年リストラにあったことで重度のうつ状態にあったという。そして事件の当日、隆と父親の間で口論が起こり、それがエスカレートして父親が隆を刺し殺した。その後、父親は茂の背中を刺し自らも命を絶った。背中を刺された茂は重傷だったものの奇跡的に助かり一人生き残ったそうだ。 「ここ最近、よく補導されててな」 「補導って警察に?」 「ああ。喧嘩とか万引きとか。あんなことがあったんだから荒れる気持ちも分からなくはないけど。でもとうとうこの間は男相手に売春した挙句、相手脅して金ふんだくってな。相手も悪いってんで起訴は免れたけど、学校は退学になっちまった」 「…………」 「俺なりにさ、隆の代わりになろうってアイツに接してきたつもりだったけど、正直もうどうしたらいいかわかんなくてな」  そう言って頭を抱える圭吾に亮司は一言「そうか」としか声をかけることができなかった。 「なんか、悪かったな。久々あったのに愚痴っぽい話ばかりになって。じゃあ俺こっちだから、またな」  店を出て駅とは反対方向に歩き出した圭吾の背中を見送りながら、亮司は何か自分が圭吾の力になれることはないか酔った頭で漠然と考えていた。
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