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 混乱する頭で這うように帰宅した亮司は、とめどなくフラッシュバックする過去の重みに耐えかねとうとうダイニングの床に倒れこむ。 「きっと……今は……」  暗闇の中、這い回る芋虫が自身の仮面を引き剥がす幻影を見る。一度砕けボンドで不恰好に修復されていた仮面が硬いフローリングの上に落ちて粉々になる。 「うくぅ--うげぇ--」  口の中から粘ついた記憶が後から後から溢れ出てくる。そのほとんどが破壊と悲嘆の塊。だが恍惚の姿をした塊もいくつかこぼれ出る。 「げほっけ--あぁ--」  隆との記憶を求め、それを下から引きずり出そうとズボンとパンツを脱ぎ捨て、萎んだ蕾を指でこじあけ、いじくりまわす。蠢く指の先端が内側の壁にある硬くなった塊の感触を捉えると、全身の感覚がその一点に支配されビクンビクンと体が勝手に悦び震える。 「んくぅあぁ--」  そこに探し物があるように思え、花弁の奥にある愉悦をもたらす子房の膨らみをひたすら掻き続けた。 「はぁ--はぁん--はぁあ--あはぁ--」  隆。隆。隆。隆。隆。隆。隆。隆、隆、隆、隆、隆、隆、隆、隆、隆、隆、隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆隆--違う、隆じゃない。これは--圭吾? 「ぃくぅ」  そこに隆はいなかった。しかし、部屋中に飛び散った白い熱のこもった花粉の臭いは、間違いなく隆の臭いだ。自分と隆が交わった臭い。ぐちょぐちょになった掌を重ねて結ばれた二人の臭い。 「……べるはず……」  吐物と血と精液に塗れながら亮司は隆が死んだ頃の自分と同化していた。   次の日、電話の音で目が覚めた。頭がガンガンする。  亮司は音だけを頼りにスマホを手に取りスピーカーフォンをオンにする。 「もしもし」 「誰?」 「俺だ、圭吾」 「ああ、何?」  圭吾が躊躇うように小さく息を吸ったのが電話越しでもわかった。 「昨日の夜、茂が薬を飲みすぎて病院に運ばれた」  それを聞いてやっと寝ぼけていた亮司の目が覚めてきた。 「幸い命には別状ないんだが」 「ああ、そう。ちょっと待って目覚ますから」  気だるすぎて事の重大性が把握できない。  亮司はスマホ片手に冷蔵庫まで張っていき、水を取り出しゴクゴクと飲む。 「ああ、オーバードースとかよくやるわぁ。って俺も何回かやってるから人のこと言えないけど」 「亮司、あの頃のこと思い出したのか?」  隆が死んでからの半年間、えぐられバラバラになっていた記憶のパズルの中にそのピースはあった。  幾度となく繰り返された自殺未遂と自傷行為のレシピ、その中でもオーバードースが一番最悪だった。特に最後にやった頭痛薬。死ねないのに数日間朦朧として吐きまくり筋肉が死にかけた。おまけに保険も効かない。亮司も流石にこりて、その後自傷行為をやめた。 「うん、ちょっとだけ。お前のこと逆レイプしたのも思い出した」 「レイプって、違うだろそりゃ。確かに最初はお前が強引だったってのはあるけど。俺もその--」  後半ごにょごにょ言って聞き取りづらい。  亮司が圭吾に泣き縋り強引に迫って始まった関係だった。二度目三度目と回を重ねるごとに圭吾の抵抗は次第になくなり、やがて圭吾の方からも亮司を求めるようになっていった。二人で快楽に溺れていたというのが正に適切な表現で、会えるときはほぼ毎日盛りあっていた。お互いに一人では埋められない心の隙間を塞ごうと必死だったのだと思う。  なのに亮司が一人で東京にいき記憶と共に置き去りにされたことを圭吾は多少なりとも恨みに思っていたのかもしれない。それで五年間梨の礫か。 「とにかく茂のこと、多分俺のせいだ。すまん」 「やっぱり昨日何かあったんだな」 「昨日、茂に言われたんだよ。こうなったのは全部俺のせいだって」 「はぁ? どういうことだ」 「圭吾も薄々感づいてると思うけど、俺と隆、いい仲になってて」 「感づくもなにも、アイツ、死ぬ前の日、俺に亮司と両想いだったってはしゃいだメール送ってきたから」 「ああそう」  初めて知らされた事実に亮司はこそばゆくなる。そして隆が自分のことをあの海岸での出来事の前から好意を持っていて、それを圭吾に相談していたことを窺い知れ、少しだけ嬉しくなった。 「お前とイチャついた写真まで添付して」 「ああ、そうその写真だよ」  亮司は忌々しそうに忙しく髪を掻く。反吐がカピカピに乾いて髪にへばりついているのに気づきますます不快になった。 「その写真が隆の親父さんの目に触れて喧嘩になったって」 「なっそれ茂がそう言ったのか?」 「ああ」 「あいつ俺にはそんなこと一言も、多分警察にも話してないと思うぞ。それ本当のことなのか?」 「いや、そんなの俺に訊かれても真実は知らんよ。ただ、茂が俺に対して強い拒否反応を持ってて、昨日俺とあったせいで情緒不安定が悪化したのは間違いないと思う」  茂のあの目、嫌悪と侮蔑の視線を思い出すとしんどいものがある。茂に隆の面影が大きいから尚更だ。  生前、隆が負の感情を現すところを亮司は見たことがなかった。いつも笑っていて、おどけて、優しかった。唯一嘆くことがあったとすれば宿題やテストのことだけだった。  今にして思えば、隆は自分の前で最大限格好つけていたのかもしれない。でなければ、隆が父親に殺されるほどの口論をしたなどというのは到底腑に落ちない。  もし、隆が生き続けていたら、いつか喧嘩でもして茂が見せたようなあんな視線を自分に浴びせることもあったのかな?   そう思うと薄情にも、今隆が綺麗な思い出の中だけにしかいないことに少しだけほっとしている自分がいる。 「そうか。だとしたらすまないことをした。俺がお前に茂のこと相談しなきゃ。茂にもお前にも嫌な思いをさせてしまって」  愁傷に言う圭吾に亮司は少しだけ呆れる。あまりにも真面目が過ぎるだろうと。 「いや、謝るのはこっちだよ。俺だって茂のこと心配だったし、本当はこれからも力になってやりたかったけど、正直もう会わない方がいいだろうな。金銭的なバックアップが必要ならお前を通していくらでもするけど、その他のことは結局全部お前任せになっちまう」 「いや……そうか。まぁそうかもな」  圭吾は少し落胆して、自分を納得させるように言う。圭吾にしてみれば三人で会って一度話し合いたいとでも思っていたのかもしれない。  正直そんなのまっぴらごめんだ。三人で会ったところで事態が好転するとはとても思わないし、何より亮司は茂に会うのが怖かった。 「あぁ俺今からシャワー浴びたいから一旦切る」 「ちょっと待って、亮司の方は大丈夫なのか?」 「ん?」 「だって昔のこととか思い出したんだろ? だから……」  亮司は眼下に広がる吐物まみれの床を目にし、見透かされてるなと苦笑する。 「いや、まぁ流石にもうお前には迷惑かけられねぇよ」 「だけど--」 「大丈夫だって。やばそうなら自分でクリニック行くから、圭吾は茂のことに集中しろよ」 「わかったよ。でも本当にやばいときはすぐ連絡しろよ」 「わかったわかった。じゃあもう切るぞ」  圭吾の返事が聞こえるか聞こえないかのタイミングで通話を切った。  あいつどんだけお人好しなんだよ。また襲うぞっつうの。  亮司はその場にしゃがみこみ大きくため息をつく。するとさっきまで気にならなかった吐物のにおいが鼻をつく。  後片付けしんどい。
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