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茂と再会し、そして拒絶されてから数ヶ月が経った。
「頭痛い」
亮司は部屋で出合い系のアプリを使い相手を物色していたのだが、急に頭が痛くなりだしそれを断念する。
窓から外を見ると雨が降り出していた。ここ最近、気圧の乱れを感じると頭痛やめまいを起こすようになっていた。亮司は病院に処方してもらっている薬を飲んでソファーの上で横になる。
しんどい。しかし内心ほっとしている自分もいる。ここのところ躁状態が続きプライベートで派手に遊びすぎていた。医者からは慢性的で軽度の躁うつを繰り返す気分循環性障害と診断されている。幸いまだコントロールが効き仕事中に大きなトラブルを起こすようなことはないからまだいいが、それでもいつ悪化して突発的なアクシデントを起こさないかという不安は付きまとっている。雨が降り頭痛がしているときは幾分落ち着くので返って気が楽だった。
スマホが着信を受け震えだす。圭吾からだった。タイミングがいいのか悪いのか。いや、まぁいいのだろう。躁状態のときだったら「セックスしようぜ。圭吾のお××ぽで俺のケ○○ンをぐちゃぐちゃに--」とか言いだしかねない。
「もしもし、悪い。茂がそっちに行ってないよな?」
「ん? 来てないよ。つか茂がうちに来るわけないじゃん」
「そうか。そうだよな、悪い」
圭吾の声はずいぶん気落ちしている様子だった。
「なんかあったのか?」
「さっき引っ叩いてしまって、そしたら飛び出していかれて」
「なんでまた」
「あいつ、園出たら俺のところに来いって言っても一人で暮らすって聞かなくて、どうやって暮らすつもりだって聞いたら体売ってとか言うからつい」
「あー……」
真面目な圭吾のことだ、そんなこと聞いたらカッとなるのも無理はない。
「うん、まぁとにかくうちには来てないけど、探すの手伝おうか?」
「いや、とりあえずこっちで探してみるから、またなんかあったら連絡する。悪かったな、じゃあ」
返事も待たずに電話が切れた。
圭吾も茂も難儀な奴らだ。人のこと言えんが。
亮司が再びソファに寝ころがろうとしたそのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「まさかだよなぁ」
そうぼやきながら、玄関ドアの覗き穴を覗くと案の定、茂が立っていた。亮司は盛大にため息を吐いてから玄関の扉を開ける。
「よぉ」
亮司が声をかけるも茂は雨でずぶ濡れの姿でうつむき顔を上げようとしない。暦の上では春といってもまだ冬と呼んで差し支えない寒さ、茂の体は小刻みに震えていた。
「とりあえず上がれば?」
そう促すとすごすごと入ってきた。まるで捨て猫だと亮司は思った。
「そこ風呂だからとりあえず入って体温めろ」
茂は玄関に佇んだまま動こうとしない。
「あんな、そんなところに立ったままおられても、濡れたまま入ってこられても、お前に風邪ひかれても、俺が迷惑なの。わかる?」
語気を強めて亮司が言うと、茂は半べそかいて脱衣所に入っていった。
亮司は台所にある風呂のスイッチを入れてから圭吾に電話する。
「もしもし、驚いたことにたった今、茂がうちに来た。ずぶ濡れだったから今、風呂入らせてる」
「本当か。今から行く」
「いや待て待て。とりあえず俺が話し聞くから、お前はまだ来んな」
「なんで?」
「冷静じゃない奴、二人も相手できないっつうの。とりあえずあいつの言い分聞いてそれから連絡するから、お前もちょっと頭冷やしとけ」
「んぅ……わかった、待ってるから、なんかあったらすぐ電話しろよ」
圭吾はしぶしぶそう言い電話をきった。
しばらくして茂が脱衣所から出てきた。亮司の用意していた灰色のスエットがだぼついてあまり似合っていない。さっきは廊下が暗かったので気づかなかったが、目の周辺が少し赤く腫れている。
圭吾のやつ、引っ叩いたとか言いながらこれは殴ってるな。
「ほれ、そこ座って飲め」
亮司は暖かいココアを入れ勧める。茂は座るも俯いたままココアに手をつけようとはしない。
「よくうちがわかったな。圭吾に聞いてたのか?」
「前に駅で見かけて……」
そのときつけて知っていたということか。結構闇深い理由だった。
背中から刺そうとでもしてたんじゃないだろうな。
「それで、俺になんか用?」
亮司はわざと突き放すような聞き方をする。茂に優しくするのは自分の役目ではないと考えたからだ。
「…………」
「一応、圭吾には来るなとは言っておいたけど、多分時間経てばここに乗り込んでくると思うぞ? 俺はまぁそれでも構わないけど」
亮司はなかなか切り出せない茂に揺さぶりを掛ける。
茂はスエット下の腿の部分を左右同様に握りしめていた。やがてその拳を緩めると、
「……あんた、ホモなんだろ。俺のこと……買ってくれないか?」
茂は歯切れ悪く口にした。一応恥ずかしいことを口にしている自覚はあるようだ。
「ああ、そういうね……」
なぜこうも行動が突飛なのか。もう二度と面見せるなと言い放った相手に今度は自分を買ってくれと。
「いやならいいよ。べつに」
「五分だけ待って。ちょっと頭整理して返事するから」
亮司はそう言って目を瞑り思考を巡らす。
圭吾と一緒に暮らしたくないのは恐らく茂なりにこれ以上圭吾の負担になりたくないということだろう。んで、体を売るという発想は、体力的に自信がなく、なおかつ高校中退の自分が働けるところなど限られているという自覚の表れ。飛び出して会いたくないはずの俺のところに来たのは、これまた圭吾の心配を最小限にとどめることのできる相手かつ、諸々の恨みも逆に俺にとっては負い目と考えれば御し易いとみたか。
中々賢いじゃないか。
そして人間の本質はそうそう変わらないと亮司は思った。
表面状素行不良と言わざる得ない行いも、行動原理を見れば茂は今でも『照れ屋だけど甘えん坊で優しい子』と言えるかもしれない。
「いいよ。お前、ここに住めばいい。書庫にしてる部屋を整理したら一部屋開くし」
「え?」
亮司の提案に茂は目を丸くする。
「だってお前の望みは圭吾の負担にならないことと圭吾に心配かけたくないってことだろ? だったら俺がお前のこと養うのが一番それに近いんじゃないか? そう思って俺のところ来たんじゃねぇの?」
「そこまでは、思ってない」
拗ねたように言う茂に亮司は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「はっ、そこまで図々しくはないってか? 対価として体差し出すつもりだったから?」
「それは--」
自覚はなかったのだろう、だが亮司の指摘に自分の中に無意識的な意図があったと気づかされ、茂の顔は見る見るうちに赤くなっていく。
「だけど、俺にとってお前の体は対価にならねぇから」
「くゅ」
茂はスウェットの胸元を掴んで泣きそうになった。
あれ? なんか可愛いじゃん。
亮司は必死で泣くのを堪えている茂の顔を見てそう思った。自分の中にまさかあると思わなかった嗜虐心の扉が開いていく。
いつのまにか亮司の頭痛は治っていた。
「この間みたいに素直に、俺の人生めちゃくちゃにしたんだから責任とって償えって言やいいんだよ」
「それは……」
「それとも何? 自分が隆に似てるからほいほい俺が食いつくと思った? ああ或いは自分で自分のこと可愛いとか思ってたとか?」
「ちげ--えぐっ……」
とうとう茂は泣き出しスウェットの袖で目をごしごし拭だした。
亮司は今自分の精神が急速に躁の方に傾いて行くのを自覚している。
やばい、楽しい。にやにやが止まらない。
「あー悪い悪い」
亮司は茂の頭を優しく撫でる。
「お前に魅力がないとかいう話しじゃないんだよ? お前は隆の忘れ形見だし、それにお前に手出したら圭吾にどやされるだろ。だから泣くなよ、な?」
「泣いてなんかねぇよ」
茂は亮司の手を払いのけ彼を睨みつける。
涙溜めた目で睨まれても俺を悦ばすだけだよ。
以前は隆と同じような目で憎しみをぶつけられることに恐ろしいと感じていた。
なのに今はその視線を受け、前立腺を刺激されたように性的な快感がほとばしる。もっと泣いているところを見たい。もっと俺を蔑んで欲しい。
茂と隆の姿をしたSとMの双子が亮司の中で仲良く転げ回る。
たまらない。でも今は、これ以上はダメだ。さすがに圭吾に申し訳なさすぎる。
亮司は深く息を吸って昂ぶる気持ちを抑えようとする。
「まっ自分で決めな。圭吾に厄介になるか。俺に養われるか。或いはここから飛び出して更に圭吾に心配かけるか」
我ながら意地悪な言い方だと亮司は思う。自分で決めろと言いながら、ほぼ容認できない選択肢とそれよりは幾分マシな選択肢を並べて誘導するやり方。
「…………」
「ココア、冷めるぞ」
考えあぐねていた茂に、ブレイクを与えるように亮司がココアを勧めると、茂はようやくそれに口をつけた。
「美味いか? 好きだっただろ、甘いの」
茂は目を伏せたままコクリと頷いた。
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