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 数日後、亮司は意を決して圭吾に電話をかけ、自分も茂の力になりたいから彼に会ってみようと思う旨を伝える。はじめ圭吾は亮司のことを気遣い心配していたものの、 「案外、それもいいかもな。茂、亮司に懐いていた気がするし、俺以外にも理解者がいるってわかれば、少しは心強いかもしれないし」  そう言って茂が入居している養護施設の住所を教えてくれた。そして次の休日に亮司はそこを訪ねる。 「ごめんなさいね、茂くん朝から出かけてしまっていて」  出迎えてくれた施設の園長先生が申し訳なさそうに言った。柔和な雰囲気の中年女性だ。 「いえ、こちらこそすいません。前日にでもアポを取るべきでしたのに」 「いえいえ、私の方は西野さんからお宅様が訪ねてきてくださること伺ってたんですよ。ただ茂くんに言いそびれてしまいまして」  圭吾が先に話を通していてくれたらしい。 「あの、少しの間ここで茂くんを待たせて頂いてもよろしいでしょうか? それと少しお話をお伺いできれば」 「ええ、ええ、構いませんとも。大したおもてなしはできませんけど」  園長先生はそう言って亮司にお茶を差し出す。 「圭吾は、西野はここにはよく?」 「ええ、茂くんが入園してから少ないときでも月に二、三度は必ず。西野さん、茂くんだけじゃなく他の子供たちの面倒見てくださったり雑用なんかも手伝ってくださったりして私どもも本当に助かってるんですよ」 「そう、だったんですか」  園長先生が庭に通じる窓に目を向けたのにつられ亮司もそれに倣う。庭では年齢のバラバラの子供たちがいくつかの塊に分かれて遊んでいた。ここは養護施設なのだから、そこにいる子供達は皆少なからず辛い事情を抱えてここに預けられているのだろう。しかし亮司の目には子供たちは一様に明るく楽しそうに映り、いじけた雰囲気など微塵も感じられなかった。  亮司は眩しいものをみたと目を細める。  子供達のその笑顔がまるですべて圭吾の功績のように思え、友人が急にドキュメンタリーの偉人のように遠い存在になったように感じた。 「僕の知っている茂くんは照れ屋だけど甘えん坊で優しい子でした。西野から最近の素行の話を聞いて少し戸惑っています」  亮司の言葉に園長先生は少しだけ目を伏せ答える。 「茂くんは深い傷を追ってここにきました」 「そうですね」 「ええ、その、心の傷もそうなんですけどね。背中の傷の後遺症が思っている以上に大きいみたいで。未だに日によって傷跡が痛むこともあるようで、内臓損傷の影響からか体力や免疫力の低下もあって、他の子達のようにうまく気晴らしができない事情もあって。でも、西野さんが懸命に茂くんと向き合ってくれたおかげで、幾分快方に向かっていると思ってたんですよ」  自分も同じだと亮司は思った。高校の頃のことはよく覚えていない。でも、あの頃圭吾が支えてくれていたから今の自分がここにいるのだろうと強く自覚する。 「それが今年の春辺りから急に西野さんにすら心を閉ざすようになって」 「何かあったんですかね」 「さあ、ただ西野さんが仰るには、茂くんがお兄様の亡くなられた年齢と同じになったことが少なからず要因になっているのではないかと」  いかにもありそうな話だと亮司は思った。それに将来への不安も加わっているのかもしれない。こういった施設は高校を卒業する年になると退所しなければならない。普通の高校生だって将来の環境変化への不安は大きいのに、茂のように身内のいない子にとって一人放り出されるそれは恐怖にも等しいのではないだろうか? 「あ、茂くん帰ってきたみたいです」  庭から茂が園の門をくぐるのが見えた。それを見て亮司は息を飲む。隆が、隆の生き写しがそこにいた。いや、よく見れば茂の方が隆より華奢で繊細な顔立ちしている。いずれにせよ似ているのは確かで、これだと毎朝鏡を見るのも死んだ兄を思い出し苦痛かもしれない。  亮司は動悸が早くなるのを自覚するも、小さく深呼吸して騒ぎそうになる心を落ち着かせようと努める。 「おかえりなさい、茂くん。茂くんにお客様よ」 「あ--」  玄関に出迎えた亮司を目にし、茂は驚きの声を漏らす。 「久しぶり」 「なんで、なんであんたがここに」  会うのは五年ぶりだった。にも関わらず茂は亮司の顔を見てすぐに誰だかわかったようだ。茂は顔面蒼白になって声を震わせた。そして数歩後退りしてから再び玄関から飛び出ていく。 「茂、待って」  亮司は慌てて茂の後を追う。やはり体力が落ちているためか、園を出て数個先の路地で息切れしてバテているところに追い付いた。茂は再び走り出そうとしたが、亮司は腕を掴みそれを制する。 「離せよ」 「話があるんだ、聞いてくれ」 「俺はあんたと話すことなんかない」 「俺にはある」  亮司が叱りつけるように声を上げると、茂は怯えたように体をびくつかせ抵抗するのをやめた。  やはり細い。不健康な痩せ方をしている気がする。隆はもっと--。  亮司はバイクのタンデムシートで見た隆の広い背中を思い出す。 「ごめんな、茂。今まで会いに来なくて。俺もまだ気持ちの整理ができてない部分があって。それでも久々会った圭吾から茂の話聞いて会いたいと思ったんだ」 「関係ない、あんたは他人だし、圭兄とも違う」 「そう、かもしれないけど。でも、俺茂の力になりたいんだ」 「はっ? なんであんたに、大きなお世話だ」 「今更だって思われても仕方がないことだけど。でも俺は茂のこと隆の親友として--」 「親友?」   茂は伏せていた顔を上げ亮司を睨む。その視線に亮司はゾッとした。嫌悪感と侮蔑が瞳の奥で渦巻いていた。 「笑わせんなよ。あんた兄貴の色だったんだろ?」 「え?」  なぜそのことを茂が知ってるんだ? 「見たんだよ」  茂が掴まれた腕を払いのける。まるで汚らわしい手で触るなと言わんばかりに。 「兄貴の携帯の中にあんたと兄貴がキスしてる写真」 「あっ」  亮司は思い出す。隆と恋人になって一枚だけ、たったの一枚だけ撮った写真。  五年前、赤色と打ち寄せる波音に包まれながら二人の想いを確かめ合った海岸。すっかり日が暮れまったりと星空と隆の肩に身を委ねるのもつかの間、バイクで送ってもらった家の前。 「リョウ」 「ん?」  カシャ--  振り向きざまにキスされて、隆の手にした携帯電話がシャッター音を響かせる。 「何撮ってんだよ、消して」  液晶画面に少し歪んで写る二人はフラッシュのせいで赤目になっている。 「やだよ。記念だもん」 「もう、恥ずかしいだろ」 「へん、恥ずかしくなんかねぇよ。なぁリョウ、これから二人でいっぱい思い出作ろうな」 「ん、うん」  二人は今一度唇を重ねて、そして名残惜しみながら別れた。それが今生の別れと知る由もなく。  あのときの写真を見られていたのか。  驚愕の色をのぞかせる亮司に茂がせせら笑う。 「あんた、とことんおめでたいやつだな」 「へ?」 「あの写真のせいで、あの写真を父さんが見たせいで--」 「そんな、まさか……」  口論の末に隆は父親に刺された。その口論の理由。 「逆恨みだけど、それはわかってるけど、でも俺はあんたのこと許せない。もう二度とその面見せんな」  そう吐き捨て茂は園に戻っていった。それを追いかけることもできず亮司はその場で立ち尽くす。 「うっうげぇ」  胃がせり上がってきた。我慢できずに足元の側溝に反吐をぶちまける。  突き付けられた酷薄な真実に、封印していた亮司の記憶が逆流した胃酸とともに引きずり出されていく。  当時、携帯電話の着メロにしていたあの曲がどこからか聴こえてきたきがした。
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