黒い思い出

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黒い思い出

はっきり言えば、私は変態である。 変態という言葉には威圧感があるのでもっと軽い言葉にするとスケベもしくはエロいと言ったほうがいいのかもしれない。 ただ犯罪的にエロいわけでもなく、人よりも性欲が強い程度と自分では思っている。 たぶん知的なエロなのかもしれない。 私はスカートめくりと言うのをやったことが無い。 その行為は、小1と小2の時に爆発的に流行したのを覚えている。 その当時もちろんスカートめくりと言うものをやってみたかったのだが、それをやることで変態な子供として先生に怒られるのが嫌だった。 田舎に居たので、結構自由に遊ぶことができる環境ですごした。 それまでは3つ上の兄と一緒の時しか駄目だったのだが、小1の後半くらいから友達の所に自由に遊びにいく権利を母親からいただいた。とてもうれしくて、ピョンピョンジャンプしながら喜んでいたのを覚えている。 そもそも兄と私はやりたいことが一致せず、あんまり馬が合わなかった。 兄は自分がリーダーになり下級生をまとめて近くの神社の境内で野球をすることが好きだったが、私はそれに加わるのが大嫌いだった。 別に狙ったわけでもないのだが、兄が野球が好きなら私はサッカーが好きという感じだった。兄の方からすれば、せっかく母親に言われて弟を面倒みているのに、弟は自分になびかないのが面白くなかったのだろう。そのうち同級生の正夫君ばかり面倒を見るようになってしまった。 たぶん母親はそのことに頭を痛めていたのかもしれない。 とにかくリーダーの支持の元で集団行動を行うことが嫌いだった。その気質は今でも残り脱サラしているのも、この性格が影響しているのかもしれない。 まだ乗れようになってまだ時間がたっていない自転車で、フラフラと住んでいる地区を。 漕いでいく。 補助車を外した後、なかなか怖くて乗れなかった自転車も、母親に後ろから勢いよくおしてもらって、激しくブロック塀にぶつかった時から、なぜかバランスが取れるようになった。 それ以来、私の自転車事故は1件だけで安定していた。 当時流行っていたアニメの主人公が、変身するときにオートーバイでロボットの中に飛び込む。 それがかっこよかった。 なので、自分も出来ると信じて、田植え前の田んぼに突っ込んだ。その後の母親の事情聴取がとてもしつこかったのを今でも覚えている。
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