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100人の世界
ふと、思った。
もしもわたしのいるこの世界に100人しかいなかったら、わたしはそのうちどの層になるのだろう、と。幼い頃によく寓話みたいな感じのもので聞かされていた、『もし世界が100人の村だったら』という話。
そうすると、何人がこうで、何人がこうで、何人がこう、みたいなことを切々と語るような内容だったことは微かに覚えているけれど、だからなんなんだ、と更に突っ込まれてしまったら、もうわたしには何も語るすべはない。
ただ、思ったことはある。
こういうものの喩えにいちいち野次みたいなことを言うようになった自分の醜さがつらいのはもう仕方ないとしても、考えてしまう。
100人しかいない世界は、そこから人数が増えることはないのかな? 母数が増えて、マイノリティがマイノリティから脱する兆候を見せたり、マジョリティがその座を追われていったりとか、そういう可能性だってあるはずなのに、ああいう喩えではあまりそういう可能性は提示されない。
もしかしたら、人数が100を超えそうになったら誰かひとりが間引かれるシステムなのかな、なんていう想像までしてしまう。
そう考えると少しだけ怖くなるけど、でも、もしそういうシステムがある世界だったなら、わたしはその間引かれる役になりたい、と思った。だってこの世界は不自由で選択肢の難易度が極端に高いわりに、ヒントになるものがほとんどない。なのに「自分で選べ」と強要され続けて、間違えたって誰も助けてくれないくせに。
それを口に出すと拗ねた子どものようだと言われてしまう。そんな風にただ責任だけ負わせてくるような世界なら、こっちから願い下げだもの。いいよね、それくらい?
間引かれる役なら、ただ自動的に、惰性で生きていたって、誰かの役に立つ自分でいられる。だって、そんなわたしの役割は、最期のときにこそ訪れるものだから。きっと、そんな自動的に行われる世界のシステムとしての間引きなら、怖くない、痛くない、悲しくない。そんな夢想をしたって、いいよね?
―――a blink of eyes―――
目が覚めると、わたしは100人だけの世界にいた。あぁ、これはさすがに夢だな。だって、いきなりそんな理不尽に、なんで世界の勝手なんかで殺されなくちゃいけないの?
あぁ、もし自分でいろいろ決められる世界があるとしたら、たぶんそれで周りが何を言ったとしても、絶対にしたいことしてみせるのになぁ……。
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