いかれたジジイの余生(自作品)より抜粋

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その後8月15日に日本は連合国に対し無条件降伏をした。 将暉は一番早い汽車で茨城を後にしたが春子は最後の一人が帰化するまで宿に残って子どもたちの面倒を見ていたため、将暉は春子のその後は知らない。 東京に帰ってくると駅で母親が迎えてくれた。 感動の再会だ。 家に帰るまでの道のりでいくつもの焼けた家を見た。 高い建物は軒並み無くなっており、 皮肉にもその日の富士山が将暉の目に一番綺麗に映った。 「何をしたらいい人生なんだろう」 涙ながらに言われたその言葉は将暉の頭からずっと離れることはなかった。
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