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綾香は暮れかけた岸壁の上で見知らぬ男に理不尽な理由で詰め寄られていた。鉛色の海はもうすでに黒い。何やら叫びながら男の手が綾香の両腕をグイっと掴んだ。
「止めて下さい! 私があなたに何をしたと言うんですか?」
綾香は必死で相手から身を守ろうとをもがいた。男の手を振り解こうとしたその時、ふと安藤の声が聞こえた気がした。冷たい風に乗って、安藤の声が聞こえたのだ。
「止めて! 私があなたに何をしたと言うの?」それは顔立ちにぴったりの綺麗な声だった。
入社から一年経って、綾香はもう一度、安藤との関係をどうにか修復したいと心から願っていた。たった一年で会社を辞めるなんて嫌だ。両親も祖父母も悲しませたくない。綾香は家族を幸せにするいい子でいたかった。会社を辞めるなんて選択肢は最初から除外されていた。
やり直すんだ、最初から。シスター制度からやり直す。綾香は強い思いで安藤のマンションの前に立った。
綾香はマンションの下から安藤の携帯にコールした。
「はい、安藤です」スリーコールで安藤は電話に出た。
「夜分に申し訳ありません。吉川です」心臓が早鐘のように鳴った。マンションの下にいる事を告げると、安藤は驚いたように用を聞いた。部下がいきなり自宅に押しかけたら誰だって驚くに決まっている。安藤は仕方なく綾香を室内に招き入れた。
「で、こんな所まで押しかけて何の用?」
スタイリッシュな革のソファに居心地悪く腰掛けた綾香に安藤は冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを出しながら口火を切った。プライベートな空間で聞く安藤の声は不思議な響きがした。まるで知らない誰かのようで、会社で感じる以上に距離を感じた。
グラスに注がれた目の前のミネラルウォーターをじっと見ながら、綾香は腹を据えた。
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